「何が来ても動じない」

 イタリア方面軍最高司令官に任命された27歳のナポレオンは、1796年3月27日、イタリアに向かう途中のニースで次のように檄をとばした。

「兵士諸君、諸君は裸だ、食べ物もない。政府は諸君に何も与えてくれない。わたしは諸君を世界で最も肥沃な平原に連れていく。諸君はそこで、名誉、栄光、富を得るであろう」

 事実ナポレオン率いるフランス軍は、軍服、軍靴だけでなく、弾薬も糧食も欠く貧相な軍だった。ところが、それまで成果のあがらなかったイタリア戦線は、ナポレオンが赴任してから連戦連勝。しかも、兵力・装備ともに圧倒的に勝るオーストリア軍を相手にして。なぜこのようなことが可能だったのか。なんといってもナポレオンの作戦の緻密さと独創性による。そもそもナポレオンが、イタリア方面軍最高司令官に任命されたのも、彼が2年前から温めてきたイタリアでの作戦計画が、軍関係を統括していたカルノーに高く評価されたからだ。 ナポレオンの非凡さは、何事も常に先行的かつ長期的に考え、平素から十分に準備しておくことにあった。ナポレオン自身こう語っている。

「様々な問題や事柄が私の頭の中に、箪笥の引き出しのようにきちんとしまってある。仕事にとりかかると一つの引出しを閉め、別のを開ける。どれも混じることはないし、それで不便を感じたり、大変だと思うこともない。・・・私は常に仕事をしている。実に多くのことを考えている。私がいつでも、何が来ても、動じないで対応する準備ができているとすれば、それはとりかかるずっと前からそのことについて考えているからだ」

 ナポレオンは、イタリア遠征での華々しい戦歴によって国民的英雄となった。そして、それを実現させたのは何より彼の知性(エスプリ)の力だと思う。

(1797年1月14日-15日 「リヴォリの戦い」

        アンリ・フェリックス・エマニュエル・フィリッポトー画 ヴェルサイユ宮殿)

(1796年11月15日-17日 「アルコレの戦い」グロ画 ヴェルサイユ宮殿)

(アンリ・フェリックス・エマニュエル・フィリッポトー「ナポレオン」ヴェルサイユ宮殿)


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