「永遠に生き続けるもの」
フランス革命がもたらした混乱を収拾し、革命の成果も取り入れた新たな秩序を作り出すためナポレオンは実に様々な手を打った。
「砂の粒のように、われわれはてんでんばらばらで、体系も結合も接触もない。・・・われわれは自由に共和国をつくれるのに、まだそれを持つにいたっていない。フランスの土に花崗岩のかたまりをいくつかまかなければ、共和国はもたないだろう」(1802年5月8日)
こうして、亡命貴族の大赦が認められ、公教育の整備、レジオン・ドヌール勲章の制定がなされたが、最も重要な「花崗岩のかたまり」は民法典の編纂である。後にナポレオン自身、流刑地セント・ヘレナでこう語っている。
「私の真の栄光は、40の会戦で勝利を収めたことではない。ワーテルローがこれらの勝利の思い出を消し去るであろう。何事も消し去ることができないもの、永遠に生き続けるもの、それは私の民法典であり、国務院の議事録にほかならない」
1801年7月から始められた国務院での民法典の審議は102回に及んだ。毎回午後2時に始まり、午後8時ごろまで審議は続いたが、そのすべてにナポレオンは出席し、57回は議長を務めた。自分と同じ意見を言う者へはこう言ってたしなめた。
「貴殿は、私の意見を述べるためにここにいるのではない。貴殿の意見を私に伝えるためにいるのだ。あとの判断は私がする、貴殿の意見と私の意見を比較検討した上で」
また、会議が長引き、うとうとする出席者へはこう言った。
「さあ、市民諸君(シトワイヤン)、起きたまえ。まだ夜中の二時だ。フランス人民の税金を浪費してはならない」
こうして、2281条からなる民法典(ナポレオン法典)は制定され、1804年に公布された。
(民法典の審議の様子)
「ボナパルトの存在は若き軍人たちにと同じように老法学者たちにも活気を与え、どちらにとっても感嘆の的であった」(ポンスレ)
(1803年 アングル「第一執政ボナパルト」)
(1802年 グロ「第一執政ボナパルト」)
(「フランス民法典」)
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