『名所江戸百景』とゴッホ

 広重晩年の傑作と言われる『名所江戸百景』。その特徴は、人間の目の高さでは決して想像もつかない俯瞰の構図(「大はしあたけの夕立ち」など。「深川洲崎十万坪」に至っては鳥の目の高さで野原を眺めた、いわゆる「ヘリコプターショット」)とともに風景を遮ることさえ厭わないような極端な前景の強調である。例えば「四ツ谷内藤新宿」、「深川萬年橋」、「水道橋駿河台」、「亀戸梅屋敷」。そこまで遠近を極端に強調する必要があるのか、と思わせるような大胆な構図。人間の目の位置から見る均衡のとれた画面構成、これがそれまでの西洋絵画の常識だった。それを覆す広重。独自の様式を確立せんと模索していたゴッホが魅かれないはずがない。「亀戸梅屋敷」をゴッホは油絵で模写した。構図こそ忠実に映しているが、色彩はかなり自由である。ゴッホはこの浮世絵から、前景と後景の極端な対比構図だけでなく、広重の赤い空の表現から主観的な色彩の使用も学んだ。

 1886年、パリに出て来たゴッホは画廊に勤めていた弟テオの協力も得て、最新の絵画や画家、そして多くの浮世絵と出会う。その出会いが、彼の作品を劇的に変化させていった。印象派によって光の世界への扉を開かれたゴッホは、浮世絵によって大胆な構図、主観的色彩の使用を学んでいく。その傾向は、陽光と色彩溢れる南仏アルルで一気に開花する。

(広重「『名所江戸百景』水道橋駿河台」)

(広重「『名所江戸百景』四ツ谷内藤新宿」)

(広重「『名所江戸百景』深川萬年橋」)

(広重「『名所江戸百景』亀戸梅屋敷」)

(ゴッホ「亀戸の梅(歌川広重による)」)

 自由な色彩表現。画面に挿入された左右の漢字がエキゾチックな効果を高めている。

(1885年 ゴッホ「じゃがいもを食べる人たち」)パリにでる前年の作品

(1887年 ゴッホ「レストランの内部」)パリに出て画風が一変。明るい色彩世界に変貌。

(広重「『名所江戸百景』大はしあたけの夕立ち」)


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