「パリの日本」と江戸の想像力

 「パリの日本」“Le Japon à Paris”。こんなタイトルの論文が 1878年、フランスのある美術専門誌に掲載された。著者はエルネスト・シェノー。内容は、1867年の第2回パリ万国博覧会以前からの日本美術蒐集の実態とフランス美術に与えた影響についての考察。

「 日本美術の趣味がパリに確実に根を下ろし、愛好家たちや社交界の人々に伝わり、その後工芸品に幅を利かせたのは、わが国の画家たちを介してである。・・・・その熱狂は、導火線の上を走る炎のような素早さで、すべてのアトリエに広がった。人々は、構図の思いがけなさ、形態の巧みさ、色調の豊かさ、絵画的効果の独創性、と同時にそうした成果を得るために用いられた手段の単純さを飽くことなく嘆賞した。」

 日本の浮世絵は、単なる異国趣味的な関心を超えてジャポニスムの域に達したのだ。 ホイッスラーは歌川広重「名所江戸百景 京橋竹ばし」をもとに、「バターシーの古橋、青と金のノクターン」(1875)を描いたが、そこには橋全体のごく一部を、下から見上げるという独特の構図と複雑かつ多様な青色を基調とした単色的な色彩構成が取り入れられている。生前100点以上の清長、歌麿、広重北斎などの浮世絵を収集し研究していたドガは、歌川広重「名所江戸百景 高輪うしまち」をもとに、「競馬場、アマチュアの旗手」(1880)を描いた。クローズアップされかつ切断された車輪が両者の関係を物語っている。歌川広重「名所江戸百景 する賀てふ」は都市の賑わいを俯瞰的に描いているが、その影響はカミーユ・ピサロ「モンマルトル大通り」(1897)などにはっきり見て取れる。モネも歌麿、北斎、広重を中心に231点の浮世絵コレクションを有していたが、画面の縁で大胆に切断された小舟を俯瞰的に描いた「舟遊び」(1887)は、鈴木春信「蓮池舟遊び」の影響を受けているに違いない。ただ日本人の自分にとっても、今でも信じられない絵は広重「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」。『名所江戸百景』の中でも、最も奇想にして最も謎深いと言われる一枚だが、なんと大鷲の目線で冬の荒涼とした洲崎の埋め立て地が俯瞰されているのだ。驚くべき想像力。江戸のイマジネーション、恐るべし!

(1897 カミーユ・ピサロ「モンマルトル大通り」)

(歌川広重「名所江戸百景 する賀てふ」)

(1875 ホイッスラー「バターシーの古橋、青と金のノクターン」)

(歌川広重「名所江戸百景 京橋竹ばし」)

(1880 ドガ 「競馬場、アマチュアの旗手」)

(歌川広重 「名所江戸百景 高輪うしまち」)

(1887 モネ 「舟遊び」)

(鈴木春信 「蓮池舟遊び」)

(広重 「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」)

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