NHK大河ドラマ「西郷どん」放映を前に

 今年のNHK大河ドラマは『西郷どん』(原作:林真理子『西郷どん!』)。主人公西郷隆盛の魅力のひとつは人間的包容力。彼ほど、この人のためなら死んでもいいと思わせた人物は珍しい。そこが同じ「維新の三傑」でも大久保利通や木戸孝允とは決定的に異なる。西南戦争で最後まで西郷に従った、旧中津藩の藩士増田栄太郎。西郷軍がいよいよ鹿児島に向けて最後の退却をする時、中津隊は西郷たちと行動をともにせず帰郷と決まった。しかし、隊長の増田だけは西郷と行動をともにするという。なぜかと問う隊員たちに、増田はこう答えた。  

「 わたしは君らとちがい、将として本営の西郷先生に接し続けてきた。それゆえ、もうどうにもならぬ。一日西郷に接すれば、一日の愛生ず。三日接すれば、三日の愛生ず。親愛日に加わり、今は去るべくもあらず。ただ、死生をともにせんのみ」

 増田にここまで言わせた西郷の魅力は、どのように生み出されたのだろうか?彼が生涯抱き続けた、自らを「土中の死骨」とみなした意識が大きいと考える。17歳から10年間、年貢の徴収業務に携わっていた下級武士(8段階の下から2番目)の西郷は、薩摩藩主島津斉彬に見出され、斉彬の薫陶を受ける。

「 西郷よ、おまえは一人の人間だが、薩摩人・日本国民・国際人の三つの人格を持っている。身近に起こることもこの三つの人格で対応せよ。」  

 西郷は、斉彬の名代として水戸、尾張、越前、肥後、長州の家老級の重臣たちと交流を深め、着々と人脈を築いていく。 しかし、敬愛する斉彬は突然病死。幕府の方針も阿部正弘(斉彬とともに幕政改革に取り組んでいた)の後を継いだ大老井伊直弼によって大転換。吹き荒れる安政の大獄の嵐。勤王僧侶月照にも危険が迫る。西郷にとって京都清水寺の僧侶月照は、斉彬の後を追って殉死しようとした西郷を思いとどまらせた命の恩人。近衛家から依頼され、幕府の監視の目をかいくぐって月照を京都から脱出させ薩摩に連れ帰る。しかし、薩摩は斉彬の死後藩論を転換。幕府の追及を恐れ、西郷に国境での月照斬殺を命じる。悩んだ西郷は月照とともに錦江湾に身を投げる。月照は死ぬが、西郷は蘇生。西郷が抱いた「生き恥をさらす」という思い。自らを「土中の死骨」と呼んだ。この思いは、生涯消えなかった。彼が、写真を極度に嫌い、明治天皇から写真の提出を求められた時にも、うやむやにして提出しなかったのもたのもこれに起因する。しかし、一度死んだ人間は強い。その後の延べ5年間に渡る奄美大島、沖永良部島での生活(潜居、遠島)でさらに鍛え抜かれた西郷は、幕末最大のヒーローとなっていく。  

「 命もいらず名もいらず官位も金もいらぬという人は始末に困るものだ。しかし、この始末に困るような人でなければ国家の大業はなしとげられない」  

 さて大河ドラマ『西郷どん』。時代考証を担当するのは、原口泉、大石学とともに『英雄たちの選択』の司会者磯田道史。どんな面白いエピソードで西郷の人物像を浮かび上がらせてくれるか楽しみである。

(錦江湾で入水自殺を図る西郷と月照上人)

(西郷隆盛蘇生の家)

(「上野公園の西郷隆盛像」高村光雲)

  愛犬を連れ、兎狩りに出かける姿。しかし、これを初めて見た妻のいとは、こう言った。

    「宿んしはこげんなお人じゃなかったこてえ」

(キヨッソーネ 「西郷隆盛肖像」 [鹿児島市立美術館])

  弟の西郷従道と従弟の大山巌の二人のモデルを合成して描かれた

「西郷隆盛坐像」(沖永良部島) とてもあの西郷と同一人物とは思えない姿!

広さ二坪の狭い牢、容赦なく吹き込む風や雨、粗末な食事、風呂は月一回、たまった排便の臭気、蠅や蚊の群れ。まさに極限状況に置かれていた西郷。しかし、友人への手紙に書く。

      「 責に遭えば遭うほどますます志は堅固にまかり成り候」

西郷が入っていた牢の再現(沖永良部島)


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