あるクリスマス・メニュー
ジビエシーズン真っ盛り。日本でも、シカ、イノシシ、マガモだけでなくクマ、キジ、ライチョウなどもレストランの食材として珍しくなくなっている。それでも、フランスなどに比べれば日本の肉食の歴史は浅い。ここに、パリのレストラン「カフェ・ボワザン」のクリスマス・メニュー(1870年)がある。驚愕のメニューだ。
(オードヴル) バター、ラディッシュ、ロバの頭の詰め物料理、イワシ
(ポタージュ) 赤インゲンのピュレー、クルトン添え、象のコンソメ
(アントレ) 川はぜのフライ
ラクダのイギリス風ロースト
カンガルーのシヴェ
熊の骨付き肉、コショウ・ソースかけ
(ロースト) オオカミの腿肉焼き、シュヴルイユ・ソースかけ
ネズミ添えネコの焼き肉 クレソンのサラダ
カモシカのトリュフ入りテリーヌ
キノコ、ボルドー風 バター入りエンドウ豆
なぜ、このようなメニューが誕生したのか?1870年冬、パリは未曾有の食糧難に陥っていた。原因は、フランスとプロイセンの戦争(普仏戦争)。パリは、プロイセンによって9月19日から翌年1月28日まで包囲された。クリスマスの12月25日は、包囲99日目。食糧も底をつき、市場では犬、猫、鼠も売られた。動物園では、プロイセン軍による砲撃に備えて象などの屠殺が行われた。このことを反映したのが「カフェ・ボワザン」のメニュー。
12月27日、プロイセン軍によるパリ砲撃が開始される。無残に破壊されるパリの街。「パリのマンハッタン」と呼ばれる「ラ・デファンス」に普仏戦争におけるパリの防衛の記念碑″La Défense de Paris ″(「パリの防衛」)がひっそりと置かれている。 パリ市民が飢えに苦しむパリ包囲の最中、この戦争で一気に統一を加速させたドイツは1871年1月8日初代ドイツ皇帝戴冠式を挙行する。場所は、なんとあのヴェルサイユ宮殿鏡の間。皇居で中国共産党主席の就任式を行うようなものだ。フランス国民にとってこの上ない屈辱。そして、第一次大戦の敗北によってドイツ国民にとって屈辱的なヴェルサイユ条約が結ばれたのもこの鏡の間。まさにフランスの報復行為と言える。超高層ビルが林立する「ラ・デファンス」にも、フランスの華麗な宮廷文化の極致「ヴェルサイユ宮殿」にも戦争の記憶が刻まれている。
レストラン「カフェ・ボワザン」のクリスマス・メニュー(1870年)
パリ包囲中の肉屋の店頭
1870年12月27日 プロイセン軍によるパリ砲撃開始
プロイセン軍の砲撃で破壊されたパリ
初代ドイツ皇帝の戴冠式(ヴェルサイユ宮殿鏡の間)
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