「善きサマリア人」のたとえ話

 イエスは「最も重要な掟」について問われて、二つを挙げている(マタイによる福音書22章 34節~40節)。第一に神への愛(「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」)。第二に隣人愛(「隣人を自分のように愛しなさい。」)。さらに「隣人とはだれか」と問われ、有名な「善きサマリア人」のたとえ話を語る。

 ユダヤ人の旅人が強盗に襲われ、瀕死の状態で倒れていた。そこにユダヤ人の祭司と、神に仕えるレビ人が通りかかった。祭司は「その人を見ると、道の向こう側を通って行った。」。レビ人も同じ。次にやって来たのがサマリア人。ユダヤ人はサマリア人をイスラエルの血を穢した存在として蔑視し、両者は犬猿の仲だった。そのサマリア人は、倒れた男を目にしてどのような行動に出たか?

「その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、 宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」」(ルカによる福音書10章 29節~37節)   

 さらに、キリスト教最大の伝道者パウロは、「コリントの信徒への手紙 13章」で、「あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。」と言い、「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」とイエスの教えを語っている。

 トランプ大統領やキリスト教原理主義者たちは、「善きサマリア人」の話をどうとらえ、イエスの教えの本質をどう理解しているのだろうか。

(ゴッホ「善きサマリア人」クレラー・ミューラー美術館)

(ダフィット・テニールス 「善きサマリア人」 コートールド美術研究所)

(エメ・モロー「善きサマリア人」プティ・パレ)

レンブラント「善きサマリア人」ウォレス・コレクション

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