「『江戸名所図会』でたどる江戸の四季」15 秋(4)「道灌山聴虫」
夕食後の散歩時、うるさいほどの大合唱だった虫の音も、落ち着いて音色を楽しめるようになってきた今日この頃。西欧人には見られない、虫の音を楽しむ文化を実感する。文部省唱歌『虫のこえ』は「あきの夜長を鳴き通す ああおもしろい虫の声」と歌う。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)も、随筆「虫の声」にこう書いている。
「われわれ西洋人はほんの一匹の蟋蟀(こおろぎ)の鳴き声を聞いただけで、心の中にありったけの優しく繊細な空想をあふれさせることができる日本の人々に、何かを学ばねばならないのだ」
今では「西洋人は、・・・日本の人々に、何かを学ばねばならない」は「日本人は・・・かつての日本人に、何かを学ばねばならない」と置き換えて読む必要もある文章になってしまったが。
江戸時代、江戸っ子たちが虫の音を楽しむ方法は二つあった。第一は、「虫売り」から虫を買って楽しむ方法。6月(旧暦)になると、虫売りがやってきた。売っていた虫は、「蛍を第一とし,蟋蟀(こおろぎ),松虫,鈴虫,轡虫(くつわむし),玉虫,蜩(ひぐらし)等声を賞する者」(『守貞漫稿』)。鈴虫などを買い求める人はたいへん多かったようで、虫売りの行商人も激増し、幕府がその数を制限したほどだった。
虫の音を楽しむ第二の方法は、名所に出かけて虫の音を聞くこと。虫聞きの名所は、真崎(南千住)、隅田川東岸、道灌山、飛鳥山、三河島、お茶の水、広尾の原、関口、根岸、浅草田圃など。特に有名だったのが道灌山で、『江戸名所図会』(「道灌山聴虫」)や広重「東都名所 道潅山虫聞之図 」の舞台になっている。
古くは、日暮里から赤羽の間の丘をも「道灌山」と呼んだ。「道灌山」の地名の由来として、中世、「新堀」(にっぽり)の土豪、関道灌が屋敷を構えたとか、江戸城を築いた太田道灌が出城を造ったなどの伝承がある。「日暮しの里」は、江戸時代、人々が日の暮れるのも忘れて四季おりおりの景色を楽しんだところから、「新堀」に「日暮里」の文字をあてたと言われている。遠くは、日光、筑波、下総の国府台、南千住、三河島なども一望に見渡せる明媚なところで、四季折々の自然が楽しめる江戸庶民のいわば観光スポット。文人墨客も数多く訪れた。この辺りは諏方(すわ)神社、浄光寺、修性院、青雲寺、養福寺、本行寺といった名だたる寺社があり、季節の花が咲き乱れた。虫聴きはもちろん、花見や月見、雪見にも最適な場所だった。
当時の虫聴きの様子が『江戸名所図会』「道灌山聴虫」挿絵に美しく表現されている。構図も素晴らしい。眺めのよい場所に陣取った男たちが酒を酌みかわしながら、今昇ったばかりの満月を愛でている。思いきりくつろいでいる男もいる。BGMは松虫の声(鈴虫の声を聞きたい時は飛鳥山、松虫の場合は道灌山と言われていた)。左の坂道には、虫籠を持った子ども。捕ったばかりの虫を母親に見せているようだ。
「詞人吟客とくに来りて終夜その清音を珍重す。中にもまつむしのこゑはすぐれて艶しく、はたおりきりぎりすのあはれなるに、すずむしの振捨がたく、思はず有明の月を待出たるも一興とやいはん。」(『江戸名所図会』)
自分には懐古趣味など全くないが、日本人がどこに向かって進むのか、自分をどう再構築するかを考えるうえでハーンの次の言葉は時々思い返してもいいように思う。
「日本の家庭生活や文学作品で、虫の音楽が占める地位は、われわれ西洋人にはほとんど未知の分野で発達した、ある種の美的な感受性を証明してはいないだろうか。宵祭りに、虫商人の屋台で鳴きしだく虫の声は、西洋では稀有な詩人しか感知しえない事がらー悲喜こもごもの秋の美しさ、夜の妖しく甘美なざわめき、林野を駆け巡っては魔法のように記憶を呼び覚ます木霊ーであるが、これらは、日本の一般民衆に広く理解されているということを示してはいないだろうか。」(随筆「虫の声」)
広重「東都名所 道潅山虫聞之図 」
『江戸名所図会』「道灌山聞虫」
広重、豊国「江戸自慢三十六興 道灌やま虫聞」
広重「江戸十二景 道灌山下」
広重「江戸名勝図絵 道灌山」
広重『絵本江戸土産』「日暮里 諏訪の台」
国貞「俳優見立商人 虫売り」 虫売りの屋台は、派手な市松模様だった
清長「虫売り」
村上弘明「虫売り」
磯田湖龍齋「蚊帳を吊る女と猫」
歌麿「虫籠」
春信「虫籠持ち美人」
国貞「江戸自慢 開帳の朝帰り」
虫籠
水野年方「三十六佳撰 虫の音 寛延頃婦人」
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