「『江戸名所図会』でたどる江戸の四季」8 夏(1)「両国橋」③夕涼み
『江戸名所図会』「両国橋」を見ると、西両国、東両国ともに川沿いにずらりと並んでいるのは夕涼み客の喉をうるおした「茶屋」(「水茶屋」)。寛政頃、西両国の一軒の水茶屋に、アルバイトをしている評判の美女がいた。「高島屋おひさ」。彼女の愛嬌ある接客が評判になり、江戸じゅうから客が殺到した。おひさは、江戸両国薬研堀米沢町2丁目の煎餅屋高島屋長兵衛の長女で,働いていたのは西両国で自家が経営する水茶屋。寛政5年17歳のころ喜多川歌麿の錦絵「当時三美人」「高島おひさ」などにえがかれて評判となり,寛政三美人のひとりとされた。特に江戸浅草随神門脇の水茶屋の「難波屋おきた」とは双璧で、「腕相撲」や「首引き」で競う姿でも歌麿は描いている。もちろんそんな美女対決、実際にあったわけではないだろうが、庶民の願望を反映した作品なのだろう。
ところで、江戸時代、最高気温30℃以上の真夏日は年間数日しかなく今ほど暑くはなかった。世界的に寒冷期だったこともあり、今より2〜3℃は涼しかったようだ。さらに街の造りが江戸は今の東京とは大きく違っていた。江戸の街は川、堀、池など、今より水辺が圧倒的に多かったため、海からの風がそこを通って涼しさをもたらした。建物も今と違って木造。木は雨が降ればその湿気を含むし、構造的に熱気が屋根裏へと逃げていく。床下にも空気が通るし、軒があるから直射日光が部屋に差し込むこともない。昔ながらの和風建築は暑い夏を快適に過ごせるような造りだった。
とは言え、その蒸し暑さは江戸時代も変わらない。エアコンで室温を下げる方法などなかった江戸時代、人々は様々な方法で蒸し暑い日本の夏を乗り切った。多くは近くの川や池などの水辺での夕涼み。隅田川の近くに住んでいた江戸の庶民の多くは、夕方になると涼を求めて隅田川へ出かけた。特に賑やかだったのは両国橋の橋詰。本来、納涼といえば、人気の少ない静かな自然の中で涼風をうけるというものだが、両国のような盛り場の納涼とは、いかにも江戸ならではの納涼の仕方である。
両国では、立ち並ぶ水茶屋だけが儲けていたわけではない。昼間、街々を売り歩いた飲食の物売りたちも、夕刻からは両国で荷台をおろして、納涼客相手に商いをした。夏の季節のみに売り歩く、ところてん売り・白玉売り・冷や水売り・西瓜売りといった行商人たちである。
納涼の中でも、もっとも贅沢な夕涼みは、隅田川での舟遊び。夕方になると、船宿から屋形船や屋根船などをくり出した。屋形船は、唐破風などの屋根を持つ、家一軒分ほどの大きな船だが、船頭は屋根の上に乗って、そこから棹を差して船を操っていた。
「船頭の足音を聞くいい涼み」
江戸中期に江戸で100艘を超えたが、寛政改革のぜいたく禁止の影響で、享和3年(1803)には31艘に減った。一方、屋根船の方は今の屋形船のことで切妻の屋根がついた小型の船。日除け船とも呼ばれ、庶民的な舟遊びの船として享和3年には603艘にものぼった。それでも、川開きで屋根船に乗ろうとすれば1年前から予約しなければいけなかったようだ。
船に乗って涼しい川風をいっぱいに受けながら、三味線の音を聞き、うまい料理に舌つづみを打つ。それに花火が上がったら申し分なし。このような隅田川の夏の遊興の世界を『東京年中行事』は、次のように回顧して描いている。
「江戸時代の夕納涼というのは毎年5月28日の両国川開きに始まって、8月28日の川仕舞に及び、その間、屋形船・屋根船・屋形の小さいものである汁溢(こぼ)し・伝馬・荷足(にたり)・猪牙船などのいろいろな遊船が幾百艘となく大川に漕ぎ出し、上は綾瀬川の口から曙橋・向島・浅草御蔵下・両国日本杭・今の本所元町河岸である両国垢離場・中洲・佃島・御浜御殿付近等の各所に繋いで夕涼みをとり、また、これ等の涼み船に物をひさがんを目的のいわゆるウロウロ船は、小料理・即席天麩羅・鮨・果物・枝豆・酒その他のいろいろな飲食物を積み込んで群集し、声色・写し絵を始めとして新内・清元・富本・一中(いっちゅう)・常磐津などの流し船さえ、その間を縫いあるきて、絃(いと)の音・笑う声・扇子の音・拍手の音、川に溢れて、それはそれは賑わしい盛んな・・・」
国貞「東都両国橋 川開繁栄図」 川沿いに葭簀張りの水茶屋が並んでいる
広重「名所江戸百景 両国橋大川ばた」 西両国の水茶屋
このあたりで高島おひさは働いていた
歌麿「両国橋橋詰め」 桶を担いでいるのが冷や水売り
歌麿「高嶋おひさ」
歌麿「当時三美人 富本豊ひな 難波屋きた 高しまひさ」
柏の家紋から、左下が高島おひさとわかる。右下の桐紋の美女が難波屋おきた。
歌麿「腕相撲 西ノ方関 浅草難波屋きた 東ノ方関 両国高しまひさ」
歌麿「二美人の首引き 「西の方 なにわやきた 東の方 たかしまひさ」 」
広重「東都名所両国夕すゞみ」
歌川房種「東都両国の夕涼」
鳥居清長「大川端の夕涼」
広重「新撰江戸名所 両国納涼花火之図」 屋形船と屋根船
細田栄之「隅田川の舟遊び」 左が屋根船、中央が屋形船、右下が猪牙船
屋形船 屋根の上の船頭の様子がわかる
細田栄之「隅田川の舟遊び」 屋形船の船内
国芳「東都名所 両国の涼」
遊山船の間を漕ぎまわって飲食物を売った小船「ウロウロ船」が描かれている。右下の半裸の男たちは、花火の火の粉が降りかかる中で大山詣の準備で垢離をとっている。東両国近くに、垢離場があった。
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