「『江戸名所図会』でたどる江戸の四季」5 春(3)「品川汐干(しおひ)」
江戸時代、花見(桜見)とならんで春の2大レジャーとして人気を集めたのが潮干狩り。ただし、江戸時代には「潮干狩り」ではなく「汐干狩」「汐干」と書いた。江戸湾は内海で波も穏やかなうえ海岸は遠浅だったから、江戸には潮干狩りの名所がたくさんあった。芝浦・高輪・品川沖・佃島沖・深川洲崎・中川の沖などで、要するに江戸湾に面している所はどこでも潮干狩りができたのである。
春の大潮は、干満の差が大きくなる上、潮が引く時間が日中とまさに潮干狩りにうってつけ。あさりも、関東では3月から5月が旬で一番美味しい時期。 あさりの産卵時期は7月〜8月。 この産卵に備えて 栄養をたくさん溜め込んでいるので、 濃厚で良い味が出る。江戸時代、潮干狩りと言えば3月3日。『東都歳時記』は、「汐干 当月(三月)より四月に至る。そのうち三月三日を節(ホドヨシ)」つまり最適日としている。
潮干狩りの中心はもちろん、貝類を採ることことだが、貝だけでなく、鰈(かれい)や鮃(ひらめ)などの魚も獲れた。潮の引くのが早く逃げそこなった鰈もいたし、砂の中に身を潜めていた鮃を踏んでしまうこともあったのである。蛸が獲れたこともあったようだ。
「親にらむひらめをふまん汐干かな」(其角)
「のどかさは女中ひらめに踏み当たり」
「左ヒラメの右カレイ」というが、江戸時代中期頃までは鮃と鰈の区別は明確でなかったようで、『物類称呼』(1775年刊)には「かれい・ひらめ、畿内西国ともにかれいと称す。江戸にては大なる物をひらめ、小なるものをかれいと呼ぶ。然れども類同じくして種異なり」とある。
『江戸名所図会』「品川汐干」にこうある。
「この地は海岸にして佳景なり。殊更弥生の潮尽(しおひ)には、都下の貴賎袖を連ねて、真砂の文蛤(はまぐり)をさぐり又は楼船を浮かべて、妓婦の絃歌に興を催すもありて、尤も春色を添ふるの一奇観たり」
春から夏にかけて品川一帯(「袖が浦」)は潮干狩りの名所だった。
「袖が浦裾をかがめて潮干狩」
「うららかさ品川沖へ徒(かち)はだし」
一年中で潮の満干の差が最も大きい三月ごろの大潮に、人びとは早朝から伝馬船(本船と岸との間を往来して荷物または人を運ぶための小船)や荷足(にたり)船(関東の河川や江戸湾で小荷物の運送にあたった小船)で沖合まで漕ぎ出す。明け六つすぎから潮が引き始め、正午頃には干上がった浜におりて浅蜊・蛤などを拾った。
「早旦より船に乗じてはるかの沖に至る。卯の刻過ぎより引き始めて午の半刻には海底陸地と変ず、ここに降り立ちて、蠣蛤を拾い、砂中の平目をふみ、引き残りたる浅汐に小魚を得て宴を催せり」(『東都歳時記』)
右画面には、蛤らしき貝を手かご一杯獲っている若者。今では1個何百円もする天然蛤も遊び道具にされるほど豊富だったのだろう。
「蛤を礫(つぶて)に投げる汐干潟」
カニに指を挟まれて悲鳴をあげている幼子、鮃らしき魚を見せている若者も描かれている。また左画面では、娘が船頭に背負われて砂浜に向かっている。船の上では、貝を採るよりも飲んだり、食べたりが好きな客が残って、もう杯を傾けている。
潮干狩りは水に入るので、女性も着物の裾をたくし上げたり、袖をたすきがけにして貝掘りに精を出した。潮干狩り専用の袖の短い小袖もあったとかで、その名も「汐干小袖」。
「三月はいとなまめいた漁師出る」
「二股のやうな女中の汐干狩」(「二股」=真っ白な二股大根)
人が多く集まる名所には、蕎麦屋や寿司売りまで出ていた。江戸の風景ではないが、豊国「明石浦汐干狩図」にはその賑やかな様子が描かれている。
では次の川柳は何を詠んだものか?
「三階に居る潮干狩り母案じ」
これは潮干狩りの名所品川が舞台。品川と言えば、吉原の「北」に対して「南」と呼ばれたほど有名な遊郭。ここの妓楼は 東海道の道側から見ると二階建てに見えたが、海側から見ると一段低くもう1階分あったので三階建てだった。だから、「三階に居る」とは品川の妓楼にいることになる。母親が心配しているのは、潮が満ちること。大潮の時期は 潮が引くのも早いが 満ちてくるのもあっという間で、潮干狩りに夢中になっている間に舟に乗りはぐれるなんて事故も結構あったようだ。この川柳、親の心も知らず、潮干狩りを口実に品川妓楼で遊ぶ親不孝者を詠んでいるのだ。
品川妓楼を描いた浮世絵も、窓の外に広がる潮の引いた浜で潮干狩りに興じる人々がセットになって描いているものが多い。しかし、母親や女房にとっては心配の種にもなった。息子や夫が潮干狩りを口実に品川妓楼へ出かけたからだ。
ところで、歌舞伎に大長編メロドラマとして有名な『与話情浮名横櫛(よわなさけうきなよこぐし)』(通称『切られ与三』)という演目がある。その中に、潮干狩りが出てくる「木更津浜辺の場」がある。幕末の嘉永6(1853)年(ペリー来航の年)に初演された作品で、江戸湾の東側、木更津の潮干狩を描いている。わけあって木更津の親戚に預けられている江戸の大店の若旦那、与三郎は、浜見物に出かけて、土地のやくざの親分・赤間源左衛門の妾・お富と出会い、一目惚れする、という場面で、通称「見初め」と言われる。そこには、海岸に出て、浜遊びを楽しむ庶民の姿が描かれている。
鳥文斎栄之「潮干狩り」
『江戸名所図会』「品川汐干」
二代広重「江戸名所 品川汐干狩」
二代目広重「品川汐干狩之図」
一景「東京名所四十八景 洲崎乃汐干」
国芳「汐干五番内 其一」
国貞「汐干景」
国芳「汐干五番内 其二」
国貞「足利絹手染乃紫 十二月ノ内 弥生」
豊国「汐干狩」
鳥居清長 「美南見十二候 四月 品川沖の汐干」
豊国「品川の宴」
細田栄之「品川の楼上」
国貞「赤間の愛妾お富 四代目尾上菊五郎 伊豆屋与三郎 八代目市川団十郎」
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