「『江戸名所図会』でたどる江戸の四季」3 春(2)「梅屋敷」①

「梅一輪 一輪ほどの 暖かさ」(嵐雪)

 梅は百花に先がけて咲き、春の訪れを知らせる「春告草」。「花の兄」とも呼ばれる。

「春されば まづ咲くやどの 梅の花 ひとり見つつや 春日暮らさむ」(筑前守山上大夫)

(春になると最初に咲く家の庭の梅の花を、一人で眺めながら長い春の日を過ごすことなどどうしてできましょうか)

 雪とセットで詠まれた和歌も少なくない。

「残りたる 雪にまじれる 梅の花 早くな散りそ 雪は消(け)ぬとも」(大伴旅人)

(残っている雪に混じって咲いている梅の花よ、早く散らないでおくれ。雪が消えたとしても。)

  「花の色は 雪にまじりて 見えずとも かをだににほへ 人のしるべく」(小野篁)

(花の色は雪に混じって見えなくとも、せめて香りだけでも匂わせてほしい、人に咲いている場所がわかるように)

「折られけり くれない匂ふ 梅の花 今朝しろたえに 雪は降れれど」(宇治前関白太政大臣)

(折る事ができたよ、紅の色が美しく咲いている梅の花を。今朝は真っ白に雪が降っているけれど。)

 春の到来を告げる花が梅なら、「春告鳥」はもちろん鶯。

「春きぬと 人はいへども うぐひすの なかぬかきりは あらじとそ思ふ」(壬生忠峯)

(春が来た、立春となったと人が言っても、鶯が鳴かない限りはまだだと思う)

「春立てば花とや見らむ白雪のかかれる枝に鶯のなく」(素性法師)

(春になったので、うぐいすは梅の枝にふりかかった白雪を花とでも思って鳴いているのであろうか。)

梅の魅力は何と言ってもその芳香。

  「人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香(か)ににほひける」(紀貫之)

(あなたは、さてどうでしょうね。他人の心は分からないけれど、昔なじみのこの里では、梅の花だけがかつてと同じいい香りをただよわせていますよ。)

  「春の夜の 闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる」(凡河内躬恒)

(春の夜の闇は本当にしょうがない。闇の中では梅の花の色は見えないが、香りは隠れることはないのだから。)

梅の木の間をそぞろ歩きながら、梅の香りを楽しむ梅見。探梅(たんばい)と呼ぶほうがしっくりくるが。梅には「匂草」(においぐさ)。「香散見草」(かざみぐさ)、「香栄草」(かばえぐさ)などという洒落た別称もある。かつては、新しい着物を着て出かけたようだ。着物に梅の香りを移すためだ。また通は、昼間ではなく夜に梅見に出かけた。香りをより深く楽しむためだ。そのためか、月とセットの和歌も少なくない。

「大空は 梅のにほひに 霞みつつ 曇りもはてぬ 春の夜の月」(藤原定家)

(大空には梅の香りのためでしょうか霞んで見え、春の夜の月も曇りきっているわけでもない朧月ですよ)

「梅の花 あかぬ色香も むかしにて おなじかたみの 春の夜の月」(皇太后宮大夫俊成女)

(梅の花はその飽きることのない色香も昔のままであり、同じような形見として春の夜の月が浮かんでいます。)

 雪月花がすべてセットになったこんな和歌もある。

「雪のうへに 照れる月夜に 梅の花 折りて贈らむ 愛(は)しき児もがも」(大伴家持)

(雪の上に月が照っているきれいな夜に 梅の花を折って贈るような愛しい娘がいたらなぁ)

豊原周延「梅間の月」

国貞「雪梅窓(せつばいそう)の若挟理(わかさのことわり)」

国芳「つもる夜の梅」 三枚綴りのうち二枚

二代目国貞「今様源氏花揃 寒梅や雪にもめけぬはなの艶」

広重「梅に鶯」

広重「梅に鶯」

歌川国丸「隅田川の梅見」

北斎「春の富士 月に梅」

古峰「梅に月」

小原古邨「梅に月」

月岡芳年「月百姿 月明林下美人来」

鈴木春信「夜の梅」

 闇夜に匂い立つ白梅の花の下、差し向ける灯りに白梅と美人の姿が鮮やかに浮かび上がる幻想的な情景を描いた作品。美人の顔や手、白梅の花の白色と、黒一色で塗りつぶした背景とのコントラストが美しい。

国芳「夜の梅」

国貞「御好夜の梅」

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