「ヴェルサイユ宮殿・庭園とルイ14世」4 王弟妃アンリエット・ダングルテール
ルイ14世は、貴族を飼い慣らすためにヴェルサイユを造営し、そこに宮廷を移したが、最初からそのような構想を持っていたわけではない。ヴェルサイユの地で工事が始められたのは1661年であり、ルイ14世が時宜を見て権力機構のすべてをヴェルサイユに移転させるとの決定を下したのは、それから16年後の1677年、そして実際に宮廷がそこに居を定めたのは1682年5月のことである。
1660年代、ルイ14世は、パリにおける王の居城としてのルーヴル、あるいは宮廷と諸官庁を兼ねた政府中枢としてのルーヴルを壮麗で巨大な王宮にすることに国家予算をつぎ込んだ。一方、ヴェルサイユは、もともとルイ13世がポケットマネーで造り、王ひとりが近衛隊長や召使いを連れて狩猟にやって来る時に使用されるだけの小さな館だった。ルイ14世も最初のうちは、家族、王族、および、その時々の愛妾たちを連れてプライヴェートな時間を過ごすために使っていた。だから、1663年に完成した第一次改築にあたっては、母屋ばかりか左右の翼棟にも大規模な改装を施したが、それは家族や王族も一緒に宿泊できるようにするためだった。さらに、引き連れてきた王族や臣下たちを集めて饗宴を催すために正面母屋にあった階段を取り外し、一階を玄関ホール、二階を饗宴用の大広間とした。そして、母屋の庭園に面した部分を囲むようにバルコニーを設け、王自慢の庭園を鑑賞できるようにした(庭園の造営は、ル・ノートルの指揮のもとに、宮殿の建立にさきがけて進められた)。
しかしこう書いたのでは、ルイ14世のヴェルサイユ改築の真意は見えない。ルイに改築を行わせた中心的動機は、アンリエット・ダングルテールとの恋にあった。この女性、なんと王弟フィリップ・ドルレアンの妃。「アングルテール」つまりイングランド出身で、父親はイングランド王(兼スコットランド王)チャールズ1世。ルイは、家族と一緒にヴェルサイユで過ごせるようにしたいという「口実」のもと、アンリエット・ダングルテールと一緒に時間を過ごせるような空間を造り始めた。すなわち、正面から向かって左の翼棟には、二階に王妃と王太子のアパルトマン、一階に母后用のアパルトマンが設けられたのに対し、右の翼棟には、二階にルイ14世のアパルトマン、一階に王弟夫妻のアパルトマンが造られていた。ルイ14世とアンリエットが実際にどのような関係を結んでいたかは永遠の謎だが、1662年にアンリエットが産んだ内親王マリー・ルイーズはルイ14世の子とも言われる。
ところで王のこの恋には、ルイとアンリエット双方に事情があった。ルイは1660年6月、スペイン王女マリー・ルイーズと結婚したが、それはスペインとの和平のために熱烈に恋したマリー・マンシーニとの仲を引き裂かれて実現したものだった。王妃は慈悲深い女性だったが、不器量で利発でもなく、会話を楽しめる女性ではなかった。その後もルイのマリーへの思慕は消えなかったが、マリーが1661年5月にイタリアのコロンナ将軍のもとに嫁ぐことになり、直接マリーから「妻になれなかった私に、いまさら、愛人になれと言われても無理です」と明言され、断念せざるを得なかったが心の痛手は残った。
一方、才色兼備で信奉者も多かったアンリエット・ダングルテールはというと、王弟フィリップ・ドルレアンと1661年3月に結婚したが、その結婚生活は幸せなものとは言えなかった。後に彼女の伝記を書いたラ・ファイエット夫人はこう記している。
「このプリンスの胸に火を点けるという奇蹟的な能力は、世界中の女の誰にも無かった」
王弟フィリップ・ドルレアンはすこぶるつきのホモセクシュアルだったからだ。フランス・カナダ製作(2015年)のドラマ「ベルサイユ」はしつこいくらいにこのあたりの状況を描いている。しかしそのことも含めた性描写が問題になったようで、シーズン3で終了してしまった(現在Netflixで配信されているのはシーズン2まで)。
いずrにせよ、夫に顧みられないアンリエットと王妃との間で会話らしい会話もなくもの足りなさを味わっていたルイ。やがて二人の間で恋が燃え上がり、それはとどまることを知らなかった。
海外ドラマ「ベルサイユ」太陽王ルイ14世の愛と欲望を描く豪華絢爛のドラマ
海外ドラマ「ベルサイユ」ルイ14世(左)とフィリップ・ドルレアン(右)
海外ドラマ「ベルサイユ」左から、王妃、ルイ14世、モンテスパン夫人、アンリエット・ダングルテール
ジェイコブ・フェルディナンド・フート「マリー・マンシーニ」ベルリン絵画館
「王弟妃アンリエット・ダングルテール」ヴェルサイユ宮殿
ジャン・ノクレ「王妃マリー・テレーズ・ドートリッシュ」ヴェルサイユ宮殿
ピエール・ミニャール「フィリップ・ドルレアン」ボルドー美術館
「ルイ14世とフィリップ・ドルレアン」
幼い男の子に女の子の衣装を着せるというのは、第一次世界大戦頃まで続いたフランス上流階級の伝統だが、この絵の右側のフィリップは当時7,8歳。王に反逆しないように女性化させられた。
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