「フィレンツェ・ルネサンスとコジモ・ディ・メディチ」14 コジモのパトロネージ②

 サン・ロレンツォ教会の改築工事と前後して、コジモによってサン・マルコ修道院の改修工事が始められている。この修道院はコジモと親しかった教皇エウゲ二ウス4世によってドメニコ修道会に与えられたものでで、修道院長もコジモの友人だった。コジモはこの修道院の建築費用だけでなく、修道会の運営費もすべて負担している。

 コジモの建築事業の多くを担当したミケロッツォ設計の修道院は、禁欲的な厳しい規律を持つ修道会にふさわしく、余分な装飾をいっさい排除した質素な造りとなっている。修道士たちが祈りと瞑想の生活を送る僧坊には、ドメニコ会の修道士フラ・アンジェリコとその工房によって小さなフレスコ画が描かれた。コジモ専用の小部屋(44ある僧坊の38と39)も二つ作られ、彼は毎日のように修道院に来ては、瞑想にふけり、謹厳な修道院長アントニーノと話し込んだ。コジモの僧坊には《東方三博士の礼拝》が描かれているが、この主題選択には理由がないわけではない。

 「東方三博士の礼拝」とは、ベツレヘムで生まれたばかりのイエスのところに星に導かれた東方の三博士(三賢王とも解釈されるマギ、イタリア語ではマジ)がはるばるとやって来て贈り物を捧げる話である。これは1月6日の公現説として今も重要な祝日であるが、15世紀にはメディチ家が有力会員として後援していたマジ同信会によって特別に盛大な祭りが催されていた。当日は華やかな衣装に身を包んで騎行する三博士=三賢王を筆頭に大勢の行列が町中を練り歩き、メディチ邸の前を通って最終地点のベツレヘムの小屋に見立てられたサン・マルコまで向かった。この騎馬行列にはコジモも他のメディチ家の人々とともに参加していた記録がある。メディチ家とサン・マルコと東方三博士は、切っても切れない強い縁があるのである。

 コジモは、フィエーゾレのバディア修道院(設計者としてコジモの名も記録されている)、ヴェネツィアのサン・ジョルジョ・マッジョーレ修道院の図書室、パリ大学のフィレンツェ人学寮などの建築のために資金を提供している。このような宗教建築へのパトロン活動には、贖罪のための慈善活動という意味が含まれていた。教会は高利貸(ウズーラ。教会法は「元金の額を超えて返済させる行為はすべてウズーラであり」罪悪であると明記していた)を表向きは禁じていたから、銀行業で富を得るのはキリスト教徒としては罪だったのである。ちなみに『旧約聖書』には次のようにある。

「あなたが、共におるわたしの民の貧しい者に金を貸すときは、これに対して金貸しのようになってはならない。これから利子を取ってはならない」(「出エジプト記」22章24節)

「あなたは利子を取って彼に金を貸してはならない」(「レビ記」25章37節)

 こうした教会への慈善活動にも、生前の善行によって天国へ召されたいというキリスト教信徒としての願望に加えて、権力者としての気前の良さを示そうとする政治的意図が込められていたが、コジモがフィレンツェにおける覇権確立を誇示するステータス・シンボルとして、明確な政治的意図を持って造営したのが新しいメディチ邸(現在のメディチ・リッカルディ宮殿)である。1445年、ラルガ通り(現在のカヴ―ル通り)とゴーリ通りの角に、新邸宅の建設が始められた。最初に設計を依頼したブルネレスキの示した模型があまりにも豪華だったため、市民の嫉妬をかわないために地味な建築を望んでいたコジモは、お気に入りの建築家ミケロッツォに改めて設計を頼んだと言われている。

 完成した邸宅はその後の邸館建築のモデルとなる独創的なものだった。一階の壁は伝統的な重々しい粗石積みだが、二階、三階と上に行くにつれて壁面はなめらかになり、最上部は古典的なコーニスで飾られている。ゴーリ通りに面した部分には広いロッジア(開廊)が開かれ、市民に開放されていた。私邸の一角にロッジアという半公共的なオープン・スペースを設けて種々の祝祭や行事に場を供することは、中世以来フィレンツェの都市貴族の習慣であり、メディチ邸の「市民性」を象徴している。

フラ・アンジェリコ「東方三博士の礼拝」サン・マルコ美術館 フィレンツェ

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ「東方三博士の礼拝」ウフィツィ美術館 

 フィレンツェの有力貴族パッラ・ストロッツィの依頼により、サンタ・トリニタ聖堂にある同家の礼拝堂の祭壇画として制作された

ボッティチェリ「東方三博士の礼拝」ウフィツィ美術館 

 メデイチ家も参加していた銀行家組合の仲介人グアスパッレ・ラーミがサンタ・マリア・ノヴェッラ教会内に建造した礼拝所の祭壇のために描かせた有名な祭壇画で、ボッティチェッリ自身も関係を持っていたロレンツオ・イル・マニフィコとその家族のメデイチ家に対して公的に捧げられた作品

サン・マルコ美術館 元来ドメニコ会修道院であり、その一部が美術館として公開されている

サン・マルコ修道院僧坊 サン・マルコ美術館

 個室の僧坊は44あり、コジモの部屋は38と39

バディア修道院 フィエーゾレ

メディチ・リッカルディ宮殿

メディチ・リッカルディ宮殿

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