「世界を変えた男コロンブス」10 第1回航海③探検

 コロンブスは目の前に次々と現れる美しい自然に感嘆の声をあげた。緑したたる樹木とふんだんにある水、まさに別世界のものと思わせる不思議な枝を持つ木々、艶やかな魚たち、肥沃この上ない平野、麗しく香り高い花や果実、さえずり舞い飛ぶ野鳥や小鳥の群れ、強烈な原色のオウム、沼に生息するイグアナ、吠えない犬、キリスト教世界が保有する全船舶を収容できる港、凛々しく天にも達するほどの山々、温暖な気候と良質な水、などなど、言葉では言い尽くせぬ素晴らしさであった。

「これでも実際の百分の1もほめたたえたことにはならず、我らが主は自分にたえずより素晴らしいものをお示しくださる。陸地であれ、樹木であれ、草木であれ、果実であれ、花であれ、人間であれ、発見したものすべて、いずれの港、いずれの水についても、然りで、訪れる先々でより一段と素晴らしい姿かたちでお示しくださる。これらを目にした人間がこれほどに称賛するものならば、これを耳で聞く人間にとっては、なおさらである。とはいえ、これも自分の目で見ないかぎり、到底、信じられないであろう」

(『コロンブス航海日誌』11月25日)

 こうしてコロンブスはカリブの豊かな自然を満喫しながらも酔いきれず、目は常に醒めて、現実の世界にいた。コロンブスの関心事はただ一つ、金と香料のある場所にたどり着くことだった。

「自分の望みは、神のご加護を得て、4月に両陛下のもとに帰着するまでに、できるかぎり多くのものを見つけ発見することである。黄金と香料が大量に産する地を見つけた時は、その地に留まり、できる限り多く入手する考えである。そのため、ただただ航行し続け、なんとしても金の産する地に巡り合うつもりである」(『コロンブス航海日誌』10月19日)

 コロンブスは小さな島が見つかるたびに、名前を付けていった。まずサンタ・マリア・デ・ラ・コンセプシオン島(受胎の聖母マリアを讃えて)、フェルナンディーナ島(フェルナンド王を讃えて)、イサベラ島(イサベル女王を讃えて)・・・。10月28日、キューバ島のバリアイ湾に到着。住民たちは多くの金の装身具を身につけていた。コロンブスの期待は膨らむ。11月2日、コロンブスは二人のスペイン人を内陸に派遣する。彼らは、村をあげて歓迎されたが、黄金は見つからなかった。ただし、帰途、二人は土地の人間が乾燥させた葉っぱを巻いて火をつけ、吸い、煙を出している光景を目撃した。タバコの喫煙である。

 コロンブスの部下が目撃したこの奇妙な風習にヨーロッパが多大の関心を示すようになるのは、コロンブスの死後かなり経ってからである。スペインは、タバコの栽培、貿易、製造で莫大な利益をあげることになる。18世紀のセビーリャにあった王立タバコ工場(メリメ「カルメン」の舞台になった。現セビーリャ大学)は一時期スペインで2番目に大きい建物であり、1800年代にはスペイン最大の企業であった。この巨大な工場で、4000人の女工が葉巻を作っていた。1770年に完成し、操業がはじまった王立たばこ工場は、20世紀半ばにいたるまでの約200年間、に「世界最大のたばこ工場」として稼動を続けた。

 11月21日、突然、ピンタ号のピンソンが隊を離れ別行動に出る。彼はコロンブスの権威をほとんど認めておらず、隊長というより、協力者と考えていた。確かにピンソンはただの航海参加者ではない。コロンブスのパロスでの準備がうまく進まなかったときに、乗組員を集められたのはピンソンの協力があったればこそ。それだけにコロンブスは、ピンソンが時として自分に横柄な態度を見せても、事を荒立てなかった。しかし、この単独行動には我慢がならなかった。「ピンソンは自分がピンタ号に乗り込ませたインディオに案内させ、金を存分手に入れようとしたのであろう」と事件の日の日誌にコロンブスは書いている。自分を出し抜いて黄金や香料を手に入れ、そのままいち早く帰国し、航海の栄誉を独り占めにするのではないかと考えると、コロンブスは怒りに震えた。

旧王立タバコ工場(現セビーリャ大学) セビーリャ

タイルのプレート  旧王立タバコ工場(現セビーリャ大学)

映画「カルメン」フランチェスコ・ロージ監督

「カルメン」の石板画 右側の建物に「タバコ工場」(FABRICA TABAKO)の文字

アンドレ・テヴェ「タバコを吸う人々」

新大陸の原住民が操る舟「カノア」(ここから英語のカヌーが派生) (ラムージオ『航海と旅行』1556年)

新大陸固有のトカゲの一種イグアナ 

 コロンブス一行はバーベキューにして食べた。肉は「白身で、やわらかく、美味であった」という。 (ラムージオ『航海と旅行』1556年)

インディオは「アマカ(ここからハンモックという語が派生)と呼ばれる網のベッドを使っていた。ハンモックは、その後まもなく船乗りのベッドとなった。 (ラムージオ『航海と旅行』1556年)

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