「世界を変えた男コロンブス」9 第1回航海②上陸
白サンゴの輝く浜辺に、コロンブスは歴史的な一歩を踏み入れた。だれもが浜辺にひざまずき、胸に十字を切り、島に到着できたことを神に感謝した。船乗りたちは次々とコロンブスのもとに寄り、航海中の無礼な言動を詫びた。コロンブスは彼ら一人一人と抱き合い、わだかまりを解き、喜びを分かち合った。よそ者コロンブスとカスティーリャの人間の間の垣根がとれ、素直に触れ合った最初で最後の瞬間であった。
上陸にあたって一行はカスティーリャ王国旗と十字架旗を翻したが、それは自分たちがカスティーリャ王国のフェルナンド王およびイサベル女王なるキリスト教徒君主に仕える使節であり、キリスト教を広めるために上陸するのであると天下に表明するためで、この島を領有する上で必要な手続きのひとつなのである。コロンブスはこの島を領有する儀式を執り行う。船長のピンソン兄弟と二人の役人を証人に命じ、この島をカトリック両王の名において領有することを宣言した。領有の儀式が終わると、コロンブスはこの島(グアナハニー島)を「サン・サルバドール島」(聖なる救世主、イエス・キリストの島)と命名した。
ところで、この儀式は島の住民も目撃していた。彼らはコロンブス一行の行動に異議を唱えたり、制止したりしなかったのか。コロンブスは1493年2月15日付け「報告書簡」の中でこう書いている。
「自分は数かぎりないほど多くの人々が住む島々をこの上なく多く見つけ、王旗を翻し口上を述べたうえ、両陛下の御為、領有したのであります。その際、異議や抵抗は全くありませんでした」
島の人々は、沖合に浮かぶコロンブス一行の船を見て「海に住む何かの動物」(ラス・カサス)と勘違いし驚いた。かれらにあったのは珍奇なものに対する好奇心だけ。だから突然の来訪者に来訪の目的を問いただすこともなければ、力づくで上陸を阻止することもしなかった。
「インディオたちはその場に群がるほどに居合わせたが、式次第が進行する間、キリスト教徒たちをじろじろと見つめて唖然とし、その髭づらや肌の白さ、身につけている衣服に仰天した」(ラス・カサス)
このような島の人々とコロンブスとの交流は、友好的な物々交換で始まる。領有式後の出来事についてコロンブスはその日の日誌に次のように書いている。
「わたくしは・・・彼らの幾人かに赤色のボンネット帽やガラス玉の首飾りなど、大した値打ちのない品々をあれこれ与えたところ、これらの品を手にして彼らは大いに喜び、われわれも驚くほど親しくなついたのであった。彼らは、そのあと、われわれがいったん引き上げたボートにまで泳いでやってきた。彼らはわれわれにオウムや綿の玉、投げ槍など、さまざまな品を数多く運んできた。彼らはわれわれが与える小さなガラス玉の首飾りとか鈴といった品と交換した。彼らはわれわれが与える品はなんであれ受け取り、自分たちのものを喜々として差し出すのであった。」
このように島の人々とコロンブス一行との和気あいあいとした交友が続く中で、グアナハニー島の住民の運命は冷厳に決定されていた。コロンブスは10月12日の日誌に早くも次のように書いている。
「この島の住民は、利口な良い下僕になるはずです。私が言うことは何でも全部繰り返すことにすぐに気がついたからです。それに、彼らはどんな宗派にも属していないようですので、たやすくキリスト教徒になるでしょう。・・・住民はかなり従順です。」
この日の領有宣言をもって、グアナハニー島の土地と住民は、いや、この島のみならず、インディアスのすべての土地とそこに住み暮らす人々は、一括して、カスティーリャ王が統治する領地・領民になったのである。これこそが「1492年10月12日」の歴史的出来事である。コロンブスは島を一通り見て回った後の10月14日には「両陛下の御命令ひとつで、これら住民のすべてをカスティーリャに連れ運ぶことも、捕虜として島に留め置くことも可能と考える。兵50もあれば、一人残らず制圧し、思いのままにすることができるであろう」とまで記している。
プエブラ「コロンブスのサン・サルバドール島上陸」プラド美術館
ジョン・ヴァンデリン「コロンブスのサン・サルバドール島上陸」
コロンブスと最初に出会った新世界の住民タイノ族
サン・サルバドール島 コロンブス上陸地点
サン・サルバドール島 コロンブス上陸地点
ラス・カサス ドミニコ会士
コロンブスが書き記した『航海日誌の原本の写しをもとにして要約し編纂。後に『インディアス史】を著わし、コロンブスに始まる新大陸での残虐非道な征服を激しく非難した
0コメント