「中世フランスのこころ」14 ジャンヌ・ダルク⑥塗油の儀式
フランス王にとってランス大聖堂での戴冠式を行うことがいかに大きな意味を持っていたか?それは聖性の獲得に関わる。フランス王は、神聖ローマ帝国皇帝のように、神の代理人ローマ教皇の手によって戴冠されるわけではない。5世紀の末にフランク王国最初のキリスト教王になったクローヴィスはランスの大聖堂で聖レミ司教の手によって洗礼されたが、その時クローヴィスは聖霊(=神、キリスト)が白鳩の姿で天から運んできた聖油を額に塗油された。以来フランス国王は、この聖油を塗油されることによって、王権が神授され、王は俗界の司教、神の代理人となるとみなされた。
ところでこの「塗油の儀式」の歴史は古い。古代エジプトでは、王(ファラオ)がある人を特別な役職に任命する時に行ったし、ヒッタイトでも塗油が儀式として行われた例を見ることができる。ただし、「聖別」の意味はうかがえない。『旧約聖書』ではどうか。「出エジプト記」29章では、主がモーセにこう命じている。
「わたしに仕える祭司として、彼らを聖別するためにすべき儀式は、次の通りである。・・・それから、彼らの頭にターバンを巻き、その上に聖別のしるしの額当てを付ける。次いで、聖別の油を取り、彼の頭に注ぎかけて、聖別する。」
古代イスラエル初の統一国家は「イスラエル王国」。その初代国王サウルは預言者サムエルによって油を注がれた。
「サムエルは油の小壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、口づけして言った。『主があなたに油を注ぎ、ご自分の民の指導者とされたのです。・・・』」(「サムエル記上」10章1節)
しかし、サウル王は、主のことばを退けるようになる。主はサムエルに言う。
「『わたしはサウルを王に立てたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、私の命令を果たさない』」(「サムエル記上」15章11節)
そして、サウルのことを嘆くサムエルにこう言う。
「『いつまであなたは、サウルのことで悲しんでいるのか。私はイスラエルの王位から彼を退けた。角に油を満たし、出かけなさい。あなたをベツレヘム人エッサイのもとに遣わす。私は彼の息子の中に、王となる者を見つけた。』」(「サムエル記上」16章1節)
エッサイには8人の息子がいたが、主に選ばれたのは末っ子のダヴィデ。
「彼は血色が良く、目は美しく、姿も立派であった。主は言われた。『立って彼に油を注ぎなさい。彼がその人である。』サムエルは油の入った角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。この日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。」(「サムエル記上」16章12-13節)
以上、『旧約聖書』から塗油の場面をいくつか取り上げたが、そこからわかるのは、塗油という儀式によって、油を塗られた者は神から人間の能力を越えた力を授かり、職務執行のために神の特別な加護を約束された存在になるということだ。そして、塗油によって神に選ばれたことを証明するために、戴冠セレモニーの後で行われたのが、集まってきた瘰癧(るいれき。結核性のリンパ病)患者に手を触れて奇蹟的に治すという癒しのパフォーマンス。国王は司祭のように聖体パンを聖別するという神降ろしの資格はないけれど、イエスや使徒たちのように奇跡の治療をするわけである。つまり、王に塗油するのは司教であるけれど、それによって、聖職者にさえ与えられない、司教を超える特別の能力と地位とを獲得するのだということをデモンストレーションしたわけである。
しかし、このような「奇蹟の治癒」は本当に実現したのだろうか?それが、戴冠式の日の宗教的高揚のせいか、かなりの率で実現したと言われている。国王本人もこのことによって自覚と自信を持つことができたことだろう。
パオロ・ヴェロネーゼ「ダヴィデに油を注ぐサムエル」ウィーン美術史美術館
アントニオ・ゴンサレス・ベラスケス「ダヴィデに油を注ぐサムエル」王立サン・フェルナンド美術アカデミー
サムエルに油を注がれるサウル
「クローヴィスの洗礼」ノートルダム・ド・ロレット教会 パリ
「シャルル7世の戴冠式」パンテオン 部分
ジャン・ジュヴネ「瘰癧患者を癒すルイ14世」トー宮殿 ランス
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