「中世フランスのこころ」4 聖遺物信仰④「聖槍」

 ウィーンのホーフブルク宮殿・王宮宝物館にあるキリストにまつわる聖遺物は、「聖釘」だけではない。受難関係だけでも「聖十字架の破片」「キリストの血」「聖顔布(ヴェロニカのハンカチ)」。さらには「最後の晩餐のテーブルクロス切れ端とキリストのエプロン切れ端」も。「キリスト生誕時のまぐさ桶の木片」まである。しかし、何より重要視されてきたのは「聖槍」。13世紀以降、ゴルゴダの丘で磔にされたイエス・キリストの死を確認するために、ローマ兵が脇腹を刺したとされる槍(「ロンギヌスの槍」)だ。王者の統治と力を示すシンボルとなり、奇蹟による無敵の力が備わっているといわれた。皇帝の表章のうちでも最重要とされ、その豪華さで有名な「帝冠」より高く位置付けられた。955年の「レヒフェルトの戦い」(勝利したオットー1世は、キリスト教世界を守ったことになり、962年のローマ皇帝への戴冠【オットーの戴冠】の理由となった。)でオットー1世がハンガリー軍を打ち破り、その後スラヴ人を打ち破ったのも、この「聖槍」の力によるものとされた。この「聖槍」、やはり重要な聖遺物である「皇帝の十字架」の水兵の腕部分に保管されていた。そしてこの「皇帝の十字架」の側面には「この主の十字架の前では邪悪な敵に従う者どもが逃げ、わが君コンラートの前からもすべての敵が退却しますように」という記念的な銘がある(コンラートはコンラート1世【1024―1039】のこと)。

 ところでこの「聖槍」がローマ兵の名前を冠して「ロンギヌスの槍」と言われるが、『新約聖書』に「ロンギヌス」の名は登場しない。「マタイ福音書」、「マルコ福音書」、「ルカ福音書」にはイエスの死を確認する場面で百人隊長が登場するが、槍でイエスの脇腹をつく記述はない。例えば「マルコ福音書」15章37節―39節。

「・・・イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。イエスに向かって立っていた百人隊長は、このように息を引き取られたのを見て、「まことに、この人は神の子だった」と言った。」

 これが「ヨハネ福音書(19章31節―34節)」ではこうなる。ここでは槍を刺した人物は単に「兵士」と書かれ、イエスが十字架にかけられた翌日のできごとになっている。

「・・・翌日は特別の安息日であったので、ユダヤ人たちは、安息日に遺体を十字架の上に残しておかないために、足を折って取り降ろすように、ピラトに願い出た。そこで、兵士たちが来て、イエスと一緒に十字架につけられた最初の男と、もう一人の男との足を折った。イエスのところに来てみると、すでに死んでおられたので、その足は折らなかった。しかし、兵士の一人が槍でイエスの脇腹を刺した。すると、すぐ血と水とが流れ出た。

 ここには槍を刺した兵士の身分も名前も書かれていない。しかし、カトリック教会によって正典から外された文書、いわゆる外典に含まれる「ニコデモによる福音書」は、この兵士がロンギヌスという名であるとしている。そこで「聖槍」は、「ロンギヌスの槍」と呼ばれるようになったのだ。

13世紀になると、ロンギヌスについてはさまざまな伝説が生まれる。そのころ編纂された聖人列伝『黄金伝説』によれば、ロンギヌスは目が悪かったが、イエスの脇腹を槍で刺したところ、その血が目に入り、視力を回復した。また、彼がイエスの脇腹を刺したとき、太陽は輝きを失い、大地は震えた。こうした奇跡を目の当たりにして、彼はイエスが神の子だと確信し、キリスト教に改宗した。その後、ロンギヌスはカッパドキアのカイサリアで28年間修道士のような生活を送り、そこで多くの人々を改宗させたが、最後には首をはねられて殉教したことになっている。

この「ロンギヌスの槍」には、「所有する者に世界を制する力が与えられ」また、逆に「失うと所有者は滅びる」という伝説があり、アドルフ・ヒトラーも探し求めていた。彼がこの槍の神秘的な力に魅せられた のはウィーンで画家を目指していた1909年ごろのこと。1938年、オーストリアがドイツに併合されると、ヒトラーはすぐにロンギヌスの槍をニュルンベルクに移し、そこで開かれたナチス党大会で展示する。しかし、1945年4月30日、連合軍がニュルンベルグにあったロンギヌスの槍を手に入れた直後、ヒトラーは自殺。もちろん、その関連性は知る由もないが。

ベルニーニ「聖ロンギヌス」サン・ピエトロ大聖堂

ルーベンス「キリストの磔刑」アントワープ王立美術館

マールテン・ファン・ヘームスケルク「キリストの磔刑」エルミタージュ美術館

カラヴァッジョ「聖トマスの不信」サンスーシ 絵画館

 イエスの復活をたしかめるために、イエスの槍で刺された傷口に指を入れるトマス

「皇帝の十字架」ホーフブルク宮殿王宮宝物館 ウィーン 

 もと皇室の遺物を収めるための聖遺物容器で、水兵の腕部分に「聖槍、支柱に「聖十字架の破片が入っていた。

「帝冠」ホーフブルク宮殿王宮宝物館 ウィーン

「聖十字架の破片」ホーフブルク宮殿王宮宝物館 ウィーン

「キリストの茨の冠の棘」ホーフブルク宮殿王宮宝物館 ウィーン

「キリストの血」ホーフブルク宮殿王宮宝物館 ウィーン

「聖顔布(ヴェロニカのハンカチ)」ホーフブルク宮殿王宮宝物館 ウィーン

「最後の晩餐のテーブルクロス切れ端とキリストのエプロン切れ端」ホーフブルク宮殿王宮宝物館 ウィーン

「キリスト生誕時のまぐさ桶の木片」ホーフブルク宮殿王宮宝物館 ウィーン

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