「中世フランスのこころ」3 聖遺物信仰③「聖釘」
イエスの磔刑に使われた「聖なる釘」の1本は、フランス王を兼ねた神聖ローマ皇帝シャルル2世(禿頭王)が、9世紀にサン・ドニ修道院に寄進して以来、そこに納められていた。ところが聖王ルイの治世の1232年、この「聖釘」が、巡礼者たちの口づけに供せられていた間の2月28日に、忽然と消え失せてしまったのだ。かくも尊き宝物の紛失を知った聖王ルイは、その残酷な知らせに「王国で最もよき司教座都市が壊され、煉瓦に化するほうがましである」と大声で叫んだと伝えられる。パリでは、この王の叫びと「聖釘」の紛失の知らせが伝わると、多くの男、女、子ども、聖職者、学徒が涙を流し、心の奥底からわめき、叫んだ。パリだけでなく、フランス中で「聖釘」の紛失を知った者たちが涙に暮れた。聖王ルイの治世のはじめに起こったこの事件に人々は、これがフランス王国の崩壊の予兆ではないかとまで心配した。
しかし、この1か月後、無事「聖釘」は発見される。聖王ルイや人々の喚起がどれほど大きかったことか。4月1日、大いなる歓喜、祝祭騒ぎの中「聖釘」は再びサン・ドニ修道院に納められた。現在はノートル・ダム大聖堂(パリ)に移されているが、一昨年の火災時、「茨の冠」とともに搬出されて無事だったようだ。
以前、ウィーンのホーフブルク宮殿・王宮宝物館で見事な聖遺物容器に入った「聖釘」を見た。ローマのサンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ教会(325年に聖ヘレナ【コンスタンティヌス大帝の母】が聖地よりもたらした聖遺物を祀るために造られた教会だとされる)にも納められている。ドイツ最古の町トリーアの大聖堂にもある。なぜ、トリーアか?そもそも聖釘は、328年ごろ、コンスタンティヌス大帝の母ヘレナ(聖ヘレナ=セント・ヘレナ)がゴルゴタの丘の跡地、現在の「聖墳墓教会」付近で「聖十字架」とともに発見したとされ、4世紀初頭にトリーア(もともとローマの植民都市として建設され、現在もローマ時代の遺跡が点在する世界遺産の街)に住んでいたヘレナは、教会に最も貴重な遺物のいくつかを与えたのだ。シエナの「サンタ・マリア・デッラ・スカラ救済院」にもある。それにしても、一体世界中に「聖釘」は何本存在するのか?イエスを十字架につけた釘は、議論はあるが3本か4本。しかし「カトリック百科事典」によれば、世界中で祭られている聖釘は30本を下らないだろうと言われる(50本以上とする記述も目にした)。
ヘラルト・ダヴィト「十字架への釘打ち」ロンドン・ナショナル・ギャラリー
マンテーニャ「キリストノ磔刑」ルーヴル美術館 三本釘の磔刑象
ベラスケス「キリストの磔刑」プラド美術館 四本釘の磔刑象
ルーベンス「イエスの復活と聖トーマス」アントワープ王立美術館
「聖釘」ノートル・ダム大聖堂(パリ)
「聖釘」ホーフブルク宮殿王室宝物館
キリストの右手を十字架に留めたという釘が、アーモンド型の顕示容器に入っている。コンスタンティヌス大帝は、この釘を時分の冑に込めさせたと教皇インノケンティウス2世の記録にある。この釘はその癒しの力で非常に有名だったので、訪れる者たちはその力が移ることを願ってロザリオを容器に擦り付けたという。
サンタ・クローチェ・イン・ジェルサレンメ教会 聖遺物
「聖釘」は右から2番目の容器に入っている
「聖釘と容器」トリーア大聖堂
「聖釘」トリーア大聖堂 この中に「聖釘」が入っている
「聖釘」サンタ・マリア・スカラ救済院 シエナ
0コメント