「中世フランスのこころ」1 聖遺物信仰①「茨の冠」

 講演会の準備をしながら、いつも考える。「この講演をすることに何の意味があるのか?」「今を生きる人がこの講演を聞く意味はどこにあるのか?」。今月実施予定の「中世パリの魅力」。これまで二度実施しているテーマ。中世を暗黒の時代ととらえる歴史観からすれば、そんな時代よりも近代、現代の歴史・文化を扱う方が意味があることになろう。しかし、中世を生きた人々の中に現代人が失ってしまった大切な心性があったとすればどうだろう。たしかに時代とともにそれまで不明だったことが明らかになってきた。不可能だったことが可能になってきた。わずか150年ほど前の渋沢栄一でさえ横浜港を出港してパリに到着するのに2カ月かかったが、今は12時間、100分の1以下の時間で到着できる。しかし、その中で失われたものはないのか?また、時代は進んでも人間が万能になったわけではない。寿命が延びたとはいえ、死の問題は誰もが無縁ではない。こんなことを考えながら、中世フランスを理解するキーワードが浮かんできた。「聖遺物」、「守護聖人」、「ジャンヌ・ダルク」。順番に見ていこう。

 2年前の4月15日(~16日)、ショッキングな映像がニュースで流れた。炎上するパリ・ノートル・ダム大聖堂。建物の損壊ももちろんだが、聖遺物「茨の冠」は無事か、と不安になった。この「茨の冠」、イエスが十字架につける前に被らされたもの。

(『新約聖書』「マルコによる福音書」15章15節―20節)

「ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した。兵士たちは邸宅、すなわち総督官邸の中にイエスを連れて行き、部隊の全員を呼び集めた。そして、イエスに紫の衣を着せ、茨の冠を編んでかぶらせ、「ユダヤ人の王、万歳」と挨拶し始めた。また、葦の棒で頭を叩き、唾を吐きかけ、ひざまずいて拝んだりした。このようにイエスを侮辱したあげく、紫の衣を脱がせて元の上着を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。」

 もともとこの「茨の冠」は、ステンドグラスで有名な「サント・シャペル」(「聖なる礼拝堂」)に保管されていた。これを入手したのは「聖王ルイ」(「サン・ルイ」ルイ9世)。彼は、1239年にコンスタンティノープルのラテン帝国皇帝ボルドワン2世から13万5000リーヴルで購入した(別の説もある)。当時のフランスの国家予算25万リーヴルの半額以上!そしてこの「茨の冠」を十字架の断片などの他の聖遺物とともに収容する礼拝堂として建設されたのが「サント・シャペル」だったのだ。その建設費用は4万リーヴル。いかに「茨の冠」の価値が高かったかがわかる。

 ところで、ルイはこの「茨の冠」を金銭で購入したのだが、このような聖遺物の入手方法は当時にあっては極めてまれだったとされる。どういうことか?それは、金銭によって売買される聖遺物には、真正性への疑念が付きまとったからだ。身元のしれない骨が、由緒ある聖人の遺骨との触れ込みで持ち込まれることもしばしばあった。そもそも聖遺物は、もっぱら外見上は何の変哲もない人骨等であり、それ自体では真贋も判然としない。だから、本物であることが確実な聖遺物を略奪・盗掘することが頻繁に行われた。そしてそれを正当化する論理はこうだった。その略奪行為が本当に許されざる行為であるなら、聖遺物が、つまり聖人自身が抵抗し、略奪は成功しなかったはず。成功したのは、聖人が略奪による移葬を望んだからだ、と。

 サン・マルコ寺院、サン・マルコ広場で有名なヴェネツィアの守護聖人はもちろん聖マルコ(サン・マルコ)。しかし、かつては聖人としての格はそれほど高くない聖テオドロが守護聖人だった。力をつけつつあったヴェネツィアは、さらなる繁栄、発展のために、キリストや聖母マリアに次ぐ聖人の聖遺物を求めた。そして、福音書記者の一人聖マルコの遺体をエジプトのアレキサンドリアから盗み出してきたのだ、イスラム教徒が嫌う豚肉で隠して。それははかりしれない影響をヴェネツィアにもたらした。

「823年、エジプトのアレクサンドリアから、福音書作者聖マルコの貴重な遺骸がヴェネツィアにもたらされ、彼とその象徴としての獅子が、この町の守護聖人となった。神とその子たる救世主に感謝が捧げられた。その時いらいヴェネツィアは、ほどなく着工されたバジリカ会堂とともに、確固たる心=核心をもつことになる。言い換えれば、力と情熱をもって、誇りと自信をもって自分自身であり続けるよりどころをひとつふやしたのである。」(フェルナン・ブローデルは『都市ヴェネツィア 歴史紀行』)

2019年4月15日 炎上するノートル・ダム大聖堂

「茨の冠」ノートル・ダム大聖堂 パリ

ミハリ・ムンカシー「エッケ・ホモ」デリ美術館 デブレツェン ハンガリー

カラヴァッジョ「エッケ・ホモ(この人を見よ」ストラーダ・ヌォヴァ美術館 ジェノヴァ

ジョット「愚弄されるキリスト」スクロヴェーニ礼拝堂

グリューネヴァルト「十字架を背負うキリスト」

ベラスケス「キリストの磔刑」

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