「2021春 京都・奈良の桜」2 吉野山①
日本一の桜の名所として知られる奈良県・吉野山。東京からのアクセスの悪さと、花見シーズンの大混雑ぶりからこれまで一度も足を運んだことがなかったが、今月5日、ようやく念願かなって行くことができた。コロナ禍の影響で、京都駅からの近鉄特急こそ空席もあったが、吉野駅からのバスは満員、特に奥千本行きのマイクロバスは1時間待ち。今年は例年より異常に開花が早かったため、最盛期は過ぎていたがそれでもシロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集する吉野の桜は見ごたえあり、「一目千本」とも言われるだけのことはあった。ただ、予想していた以上に坂がきつく、奥千本でバスを降りてからケーブルカー駅まで歩いて下ったが、いまだに足の付け根の痛みが取れないのは悲しいかな歳のせいのようだ。
満開の桜を見るだけなら、住んでいる多摩市にも見所は色々あるが、例えば世界遺産・吉水神社から観る「一目千本」など、中千本と上千本の桜を一度に見渡すことが出来る雄大な桜風景は他に類を見ない。しかし吉野の魅力は自然だけではない。歴史に思いをはせながら山歩きを楽しめることだ。
文治元年(1185年)の暮れ、静御前が愛する源義経と別れた場所はここ吉野山。彼女は従者に金銀を奪われ山中を彷徨っているところを金峯山寺の僧兵に捕えられる。そして、京の北条時政に引き渡され、文治2年(1186年)3月に鎌倉に送られる。そして同年4月8日、静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。この時、静は次のような義経を慕う歌を唄う。
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」
これは『伊勢物語』に見える「古のしづのをだまき繰り返し 昔を今になすよしもがな」の古歌を踏まえたもので、「しづ」を自分の名の「静」にかけて、義経を恋い慕い、なんとかして昔を今にもどしたいという願望をあらわしたものと解するようだ。もう一首。
「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)
これを聞いた頼朝は激怒するが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。『吾妻鏡』では、この場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。「静の舞」、多くの浮世絵によって描かれている。
北斎「雪月花 吉野 花」
「吉野山図屏風」東京富士美術館
「吉野山龍田川図屏風」東京富士美術館
二代目広重「今様源氏老若合 大和よしの山」
歌麿「静の舞」
葛飾北斎「白拍子(静御前)」肉筆画
国芳「十賢女扇 静御前」
国芳「忠孝名誉奇人伝 静御前」
2021年4月5日 吉野山
2021年4月5日 吉野山吉水神社からの眺め
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