「ナポレオンを育てた母と妻」15  その後

 ナポレオンがエルバ島に流された時、ジョゼフィーヌはどうしていたか?休戦後のパリで主役、スターになっていたのはロシア皇帝アレクサンドル。彼はジョゼフィーヌの住むマルメゾンに足繁く通う。ジョゼフィーヌは、ナポレオンに対するアレクサンドルの心証を少しでも良くしておこうと、近くに住む娘のオルタンスとともにもてなす。また、ナポレオンに宛てて、こんな手紙も書くが、ナポレオンはマリー・ルイーズの目を気にして無視してしまう。

「あなた様がおひとりになられ、不幸でいらっしゃるとき、あなた様をお慰めできるのは、このわたくし一人だけ・・・。お言葉をくださいませ、そうすれば、わたくしは起ちます・・・」

 1814年の5月半ば、薄着のままアレクサンドルと遠出したジョゼフィーヌは風邪をひく。そして肺炎になり、5月29日息をひきとる。最期にこんな言葉を残して。「ボナパルト・・・エルバ島・・・ローマ王」

 エルバ島を脱出したナポレオンは再び天下を取る(「百日天下」)も「ワーテルローの戦い」(1815年)にやぶれ、セント・ヘレナ島に流される。息子がセント・ヘレナ島で囚われの身になっているということを知ったレティツィアは、自分もセント・ヘレナ島へ行き、一緒に暮らしたいと書き送る。しかし返事は来ない。彼女は、ただただナポレオンからの手紙を読みたいという希望だけで生きていた。送金もする。しかし、それもいつも届かない。「このわたしは、財布の底をつくまで皇帝に送り続ける覚悟です」と、彼女は言う。ナポレオンの窮状を知ると、ためらうことなく自分の全財産を送付しようとする。そんなことをしたら彼女自身が窮乏に陥りかねないと意見されたレティツィアは、悲しい微笑を浮かべてこう言った。

「かまうものですか。なんにもなくなったら、わたしはナポレオンの母にお恵みを、と言って歩きますよ」

 1818年8月29日、彼女はアーヘンに集う連合国の首脳に嘆願の手紙を送る。

「・・・諸陛下、わたしは母親です。息子の生命はわたし自身の命より貴重です。この手紙を、国王ならびに皇帝諸陛下に差し上げる失礼を、わたしの苦しみに免じてお許しください。息子への長きにわたる暴虐に抗議する母親の申し入れを、どうかけっして無益なものにされませぬように。善にして、国王ならびに皇帝諸陛下がその絵姿であられる神の御名において、息子の自由に意を寄せられますよう。地上における神の代理であられる諸陛下に、わたしは懇請いたします。・・・」

 しかし状況は変わることなく、ナポレオンは1821年5月5日に亡くなる。ローマにその報せが伝わったのは7月16日。7月22日、能う限りの慎重な配慮がなされたうえで、レティツィアは息子の死を知らされる。なんという叫びが、この不幸な母親から発せられたことか!邸中を恐怖にとりつつむような、なんという叫び!皇帝の胸像を抱きしめたまま、身じろぎもしない。それから、一語も発せず、彼女は床にくずおれ、気を失った。ようやく絶望的な茫然自失状態から抜け出したのは8月半ば。彼女には今や一つの考えしかなかった。息子の遺体の引き渡しを要求すること。イギリス首相に宛てて嘆願書を送る。しかし返事はなかった。

 レティツィアは、息子の死後15年、85歳まで生きた。生前、彼女は次々に出る息子についての出版物を風刺的な小冊子に至るまで、侍女に朗読させた。そして、ナポレオンに対する批判など不都合な個所を侍女が読むのをためらうと、「なぜやめるの?わたしが真実に耳を傾けないとでも思うの」と叱った。そしてこう言い切った。

「ナポレオンはマリアさまの息子のイエスさまとは違います。彼はレティツィアの息子だったにすぎません」

 やがて半身不随となり、全盲となりながらも、息子の胸像の前に座し、喪の悲しみに浸り、哀悼の思いに耽る日々を送る。その後、フランスへの帰還が許されるも、同様の許可が子どもらに下されないからと、それを拒絶。どこまでも誇り高く、毅然とした姿勢を貫いた生涯だった。

「レティツィア・ボナパルト夫人の生涯ほど、偽善に染まらぬ、そしてわたしの考えるところ高貴な生涯というものは、ほとんどなかった」(スタンダール)

ヘクトール・ヴィジェ「オルタンスと二人の息子とともにロシア皇帝アレクサンドル1世と

その弟を迎えたジョゼフィーヌ」マルメゾン城 

 

フランソワ・ジェラール「アレクサンドル1世」

マルメゾン宮

フランソワ・ジェラール「レティツィア」ヴェルサイユ美術館

ウィリアム・オーチャードソン「ベレロフォン号上のナポレオン」テート・ブリテン

セント・ヘレナ島の位置

ロングウッド・ハウス ナポレオンが与えられたセント・ヘレナ島での寓居

シャルル・ド・スチューベン「ナポレオンの死」アーネンバーグ 

 今わの際にナポレオンはイギリスによる暗殺を示唆したが、その死因は胃癌であることが定説となっている

「アンヴァリッド」 ナポレオンの墓がある

ナポレオンの墓

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