「ナポレオンを育てた母と妻」12 後継者問題

この事件を契機に、ジョゼフィーヌはそれまでの浮ついた生き方を完全に変える。ただひたすらナポレオンのために生きるようになる。彼女はもともと頭のいい女性。特に、人を動かす能力にたけていた。相手が何を考えているのか、この人とこの人を仲良くさせるにはどういうふうにもっていけばいいか。それはナポレオンに欠けている点でもあった。ジョゼフィーヌは、全身全霊を打ち込んでナポレオンに尽くすようになり、抜群に有能な妻、「最高のあげまん」になっていく。 ナポレオンはフランス革命後の混乱を収拾し、フランス社会を安定化させていくことになるが、そのためには革命前の古い社会と革命後の新しい社会を融合させる必要があった。しかし、ナポレオンは革命前の貴族社会についてほとんど知識を持たない。ところが、ボアルネ子爵と結婚し、別居後も社交界で生きてきたジョゼフィーヌは古い貴族社会を熟知していた。彼女は、古い貴族とも付き合えるし、過激なジャコバン派とも付き合えるという、幅の広い人当たりのいい女性として、ナポレオンの政権基盤を固めるうえで大いなる貢献をしていくのである。

 しかし、ナポレオンの母レティツィアは、ジョゼフィーヌを毛嫌いしていた。兄妹も「年寄り」「浮気女」「浪費家」と、非難の言葉を投げ続けた。ファーストレディとなったジョゼフィーヌはいまやナポレオンのためにのみ生きようとしていたが、離婚の恐怖が消えることはなかった。子どもができないからだ。ジョゼフィーヌは一計を案じる。娘のオルタンスをナポレオンの弟ルイと結婚させる、そして、二人の間に男の子が生まれたらナポレオンが養子として引き取る。1802年1月4日、オルタンスとルイは結婚。この年の10月10日には、めでたく長男ナポレオン・シャルルが誕生した。

 しかし、こうした努力も結局無駄に終わる。ナポレオン・シャルルが1807年5月に病死する。しかしオルタンスは、ナポレオンの弟ルイとの間に、1804年次男ナポレオン・ルイ、1808年三男シャルル・ルイ(後のナポレオン3世)を産んでいる。問題は、ナポレオンと他の女性の間で子供が生まれたことだ。ジョゼフィーヌには前夫との間に二人の子どもがいる。だから、ナポレオンとの間で子どもができない原因はナポレオンにあると考えられていた。しかし、子どもができたことでナポレオンの生殖能力に問題がないことが証明されてしまったのだ。1806年の暮れにナポレオンの子どもを産んだエレオノールは身持ちの悪い女だったため、ナポレオンは間違いなく自分の子だと確信することはできなかった。しかし、マリア・ヴァレフスカ伯爵夫人から1809年9月に妊娠を告げられた(出産は翌年5月)ナポレオンは、二人の間に子供ができなかったのはジョゼフィーヌに原因があったのだということを確信する。

 ナポレオン帝国の基礎を固めるには、やはり子どもが必要だった。ナポレオンは始終戦場にあり、しかも戦場では陣頭指揮をとるので、流れ弾にあたって不慮の死をとげるという可能性も十分にあった。そういうことになれば、後継者をめぐる陰謀が渦巻いて収拾のつかない事態になるだろう。ナポレオンにとって、名門王家から新しく妻を迎え、その妻に子どもができるというのが一番理想的だった。しかし、ナポレオンはジョゼフィーヌに断ち切りがたい愛着を感じていた。ファーストレディになってからのジョゼフィーヌは、国内政策上、外交上、いろいろとナポレオンを支え、助けてきた。戦場にあっては敏速果断な常勝将軍、鉄の意志を持つ男ナポレオンも、離婚をめぐっては、迷いに迷い続ける。国家的理由は「離婚すべし」と言い、個人的感情は「離婚すべきではない」と言うのだった。ナポレオンは実にありとあらゆる可能性を検討する。たとえば、ほかの女性に子どもを産ませ、それをジョゼフィーヌが産んだように偽装する、といったことまで。

 しかし、ナポレオンは離婚を決意する。1809年11月30日、ナポレオンから離婚を告げられたジョゼフィーヌはこらえかねてすすり泣き、失神した。

アンドレア・アッピアーニ「ウジェーヌ・ド・ボアルネ」マルメゾン宮

 ジョゼフィーヌと前夫の子

ジロデ=トリオゾン「オルタンス・ド・ボアルネ」アムステルダム国立美術館

ナポレオンが最も可愛がっていた弟のルイ・ボナパルトと結婚したが、ルイは軽い半身麻痺があり陰気な性格で、一方オルタンスはジョゼフィーヌに似た陽気で社交的な性格。夫婦仲は悪かった。1806年にルイはオランダ国王に、オルタンスは王妃になったが2人の夫婦仲は悪いままだった。

ジョルジュ・ルジェ「アレクサンドル・ド・ボアルネ」ヴェルサイユ宮殿

 ジョゼフィーヌの前夫。1779年に16歳のジョゼフィーヌと結婚するが、当初から夫婦仲が悪く、4年後の1783年に離婚

チャールズ・ハワード・ホッジス「ルイ・ボナパルト」アムステルダム国立美術館

プリュードン「皇后ジョゼフィーヌ」ルーヴル美術館

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