「ヒトラーとは何者か?」16 政治家への道(5)「突撃隊」(SA)

 ヒトラーは、議論をして多数決で何かを決めるという民主主義のルールを嫌い、反議会主義を標榜していた。つまり、選挙や議会の議席に何の意味も見出していなかった。ヒトラーにとって、ナチ党は普通の政党であってはならなかった。議会政治の外側で強固な大衆的急進右翼運動を唱道し、ヴァイマール共和国政府を粉砕する力にならねばならなかった。議会外のあらゆる手段を尽くして「売国奴」が支配する共和国を倒壊に導くことこそ、この時期のヒトラーの眼目。その目的の実現に向けてヒトラーはどう行動したか?

 党首となったヒトラーが最初に取り組んだ課題は、党員の出身階層を中間層から労働者層へと広げること。「ドイツ労働者党」以来、党にまとわりついていた「名士の集まり」としてのイメージを払拭し、大衆政党に発展する足がかりを得ようとしたのだ。そのため、他の党よりも街頭での活動を重視。集会に次ぐ集会を開き、演説を通して無数の聴衆を味方に引き入れようとした。集会では思想的に対立する政治集団と暴力沙汰になることも多く、集会を護るための警備隊がすでに設置されていたが、ヒトラーはこれを準軍隊的な武装組織に作り変える。これが「突撃隊」(「エスエー」SA=Sturmabteilung)である。その制服の色合いから「褐色シャツ隊」とも呼ばれたように、イタリア・国家ファシスト党の武装組織「黒シャツ隊」を範にとっていた。隊員の資格は25歳までの若者に限られたが、退役軍人による軍事教練のおかげで逞しくなり、労働組合や左翼政党の集会を急襲して政敵を混乱に陥れるようなことを平気でやってのけた。

 1921年10月以降に「突撃隊」の名で知られるようになるこの部隊は、これまで主張されてきたように「ヒトラーが個人的に創設したもの」でもなければ、ヒトラーの意志の産物でも自らの権力のための道具でもなかった。党の会場警備隊を準軍事組織に作り変えた立役者はエルンスト・レームであり、元をただせばヘルマン・エアハルトだった。

エアハルトは海軍少佐として第一次世界大戦に従軍し、戦後は反革命集団「エアハルト旅団」の指揮官として勇名を馳せる。これが共和国政府によって解散させられると、バイエルンで右翼テロリスト集団「コンズル」(外相ラーテナウや蔵相エルツベルガーの暗殺など数多くのテロ行為を行い、前身時代を含む1919年から1922年の間に少なくとも354名を殺害したとされる)の指導者となった。

 エルンスト・レームは、ヒトラー以上に「前線世代」だった。軍の下級将校として塹壕戦で危険と不安と欠乏を分かち合い、後方の参謀本部、軍官僚、「低能な」政治家、本国でさぼり、怠け、甘い汁を吸っている者への偏見と怒りを共有していた。こうしたきわめて否定的なイメージと対照させるかのように、レームは「前線共同体」、塹壕内での連帯、地位ではなく行動に基づくリーダーシップ、指導者の求めに対する盲目的服従を英雄視した。レームが理想としたのは戦士の共同体だった。彼の関心は一貫して、政党政治ではなく軍の政治、準軍事組織の政治にあった。

 しかし、レームは準軍事組織の重要人物に近く、武器も入手しやすい立場にあったため、ナチ党にとってその価値は実に大きかった。レームは、「エップ旅団」(ヴァイマール共和国軍に統合された義勇軍の後継組織)の武器供給を管理する役職にあって、住民軍への武器供給にあたっていた。武器の総量は連合国の監視の目から隠す必要があった。占領軍の査察官は置かれなかったため、これは難しいことではなかったが、これが機密性を有する作業だったことをうまく利用して、1920年から21年にかけて、レームは小型武器を中心に大量の武器を集積することに成功した。そして集めた武器を管理し、分配を決定することから「機関銃王」と呼ばれるようになったレームは、その立場を利用して、ナチ党のような急進右翼組織に軍事物資を調達したのである。

 突撃隊の武装化は、ナチ党が直接行動主義=暴力路線を突き進むきっかけとなる。ヒトラーはやがて武力によるクーデター構想を抱くようになるが、その背後には、軍と急進右翼をつなごうとするレームの影があった。

ヘルマン・エアハルト   魚雷艇小隊指揮官時代(1916年)

ヘルマン・エアハルト 「カップ一揆」(1920年3月13日)参加時

エアハルト海兵旅団 1920年3月13日

エルンスト・レーム 1933 

 突撃隊(SA)を統率し、ナチ党の政権把握に大きく貢献したが、後にヒトラーと路線対立し、銃殺された。

エルンスト・レームと彼の副官(そして恋人)ハンス・フォン・シュプレーティ・ヴァイルバッハ

レームと副官ハンス・フォン・シュプレーティ・ヴァイルバッハ

 両名とも後に粛清される

小銃で武装し、バイクでパトロールする突撃隊員 1923年

ベニート・ムッソリーニ

ムッソリーニと行軍する黒シャツ隊 1922年

ヒトラーとムッソリーニ

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