「ヒトラーとは何者か?」15 政治家への道(4)ナチ党(国家社会主義ドイツ労働者党)発足

 ヒトラーは軍の教宣活動で経験を積んでいたから、党員獲得には不断の宣伝活動が必要で、そのために公開集会が効果的だと考えていた。しかし、これが党内に波紋を引き起こす。ドイツ労働者党の創設にも関与したカール・ハラ―はこの党を、政党というよりも志を同じくする者の秘密結社と捉えており、「トゥーレ協会」(当時ミュンヘンの右派陣営で隠然たる影響力を持った秘密結社)を中心とするネットワークの一つに位置づけようとしていた。そのため党独自の公開集会には消極的だった。ハラーが党を外部からコントロールするかのような行動に出たため、ヒトラーはドレクスラーと手を組んでハラーを離党へ追いやった。

 ドイツ労働者党が自立した政党となったことを示すために、ドレクスラーとヒトラーは公開集会を開いて党の綱領を発表し、党名を「ドイツ労働者党」(Deutsche Arbeiterpartei 略称:DAP)から「国家社会主義ドイツ労働者党」(Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei 略称 NSDAP ナチ党)と改めた。ここにナチ党の名が歴史に現れた。1920年2月24日、約20000人の聴衆が詰めかけたホーフブロイハウス・ビアホールで、党の「二十五ヶ条綱領」が発表された。そこに掲げられていた主な内容は以下の通り。

 まず、屈辱的なヴェルサイユ条約によって削られた領土を回復し、国境の外に取り残されたドイツ人を包み込む「大ドイツ国」を実現することを第一の目標とする。次に、ユダヤ人から公民権を剥奪することを第二の目標とする。民族同胞は「ドイツ人の血を引く者」に限られ、民族同胞だけが国民になりうる。したがってユダヤ人はドイツ人の血を引かないがゆえに民族同胞になれず、非ドイツ民として外国人法の適用を受けるとした。また、財閥の国有化とか、小企業の保護、貧困家庭の教育費国庫負担、幼年労働の禁止など、労働者や中間層に訴える内容がある。さらに、ヴェルサイユ条約によって禁じられた徴兵制の復活、再軍備などもうたわれている。

 ハラーの追い落としに成功したヒトラーは、党の宣伝活動に力を入れる。軍隊のパレードを模した隊列を組んでの街頭行進、トラックの荷台に制服に身を包んだ党員数十名を乗せて行う示威行動、本来は共産主義運動のシンボルカラー、赤を基調色とするビラやポスターなどの派手な手法は人目を引いた。党の公開集会も毎週のようにミュンヘンのどこかのビアホールで開かれ、入場者数は回を重ねるたびに増えた。目玉はヒトラー自身であり、その演説は聴衆を惹きつけた。ヒトラーの演説は、すべて巧みな時事政談。聴衆に応じて取り上げるテーマは変えたが、論じ方は同じ。最初に暗澹たるドイツの現況を静かに論じ、やがてその原因がどこにあるのか、なぜそんな苦境に陥ったのか、どうすれば失った未来を取り戻せるのか、世界を善悪二項対立のわかりやすい構図に置き換えて情熱的に語った。聴衆の憤りは自ずと悪に向かう。その悪の具現者こそユダヤ人、マルクス主義者、そしてヴァイマール共和国の議会政治家たちだ。

 ヒトラーにとってユダヤ人は常にどこかの国に寄生し、その内部から生きる養分を吸い取ってきた人種。ドイツでもユダヤ人は新聞メディアを支配し、国民道徳を腐敗させ、国際的な革命思想=マルクス主義を浸透させることで民族の結束を阻んできた。ユダヤ人は戦争で暴利をむさぼり、革命をそそのかしてドイツを敗北へ導いた。そのあげく、自らの楽園=ヴァイマール共和国をつくった。革命の渦にドイツを巻き込んだボリシェヴィズムも、ヴェルサイユ条約の背後で糸を引く国際資本も仮面をかぶったユダヤ人の所産だ。そんな風にヒトラーは激動の時代のからくりを説明してみせた。根拠のない暴論だが、敗戦の理由を理解できず、革命政権の出現に戸惑うばかりの聴衆には、目から鱗の説得力を持って受け入れられた。

 ヒトラーの大衆演説会のおかげで、ナチ党の党勢も拡大し、入場料収入で党の財政も潤う。そのような中、党の在り方、路線をめぐって党内で権力闘争が起こる。ヒトラーは党首のドレクスラーを名誉職に追いやり、1921年7月29日、自ら党首となる(それまでまがりなりにも機能していた党委員会の多数決原則は意味を失った)。ナチ党におけるヒトラー独裁権力の成立である。

「「背後の一突き」1919年に発行されたオーストリアのポストカード

 ナイフを持ったユダヤ人が戦場のドイツ兵を背後から刺そうとしている。

「背後の一突き」

 第一次世界大戦でのドイツの敗戦は、戦場でのドイツ軍の敗北によってではなく、銃後(ドイツ本国内)におけるドイツ社会民主党を筆頭とする社会主義勢力やユダヤ人による戦争妨害・裏切りによってもたらされたとするデマゴギー的説明

「背後の一突き」 1920年総選挙時の国家人民党によるポスター

 敵と相対する騎士(ドイツ軍)を背後から社会主義者が妨害している。

ナチ党の党章

ヒトラー 1921年

ホフブロイハウス 絵葉書 1918年

ホフブロイハウス 現在

初期のナチ党の集会で演説するヒトラー

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