「ベル・エポックのパリ」9 社会の大転換(1)ガス灯から電灯へ

 パリの街路照明に革命をもたらしたのは、1830年頃から公共用街灯として用いられるようになったガス灯である。とりわけ、19世紀中頃にグラン・ブールヴァ―ルがパレ・ロワイヤルから覇権を奪って盛り場の王者になる過程においては、このガス灯の整備で街路が室内の延長と見なされるようになった事実が大きく関係している。ヴァルター・ベンヤミンは「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」の中で次のように書いている。

「街路を室内と見るところに遊民の幻像は集約されるが、この現象はガス灯の照明と切り離しがたく結びついている。・・・・ナポレオン三世の治下で、パリのガス灯は急速に増えてゆく。これにより都市の安全度は向上し、公道上の群集は夜でもくつろげるようになった。・・・・第二帝政の盛時には、グラン・ブールヴァ―ルの商店は夜の十時前には店を閉めなかった。夜歩きが盛んだったのである」

 ボードレールの大きなライトモチーフである夜の「遊歩」は、じつに、グラン・ブールヴァ―ルにガス灯がともされ、夜でも、多数の群衆が集まるようになって「群集の中の孤独」が保証された時に初めて可能になったものなのである。

 ところで、1872年の暮れ、すでに夕闇のおりたパリに到着した岩倉使節団(新国家の建設が始まって間もない明治4年11月12日【1871 年12月23日】から明治6年【1873年】9月13日まで、欧米諸国との交際や外交交渉、海外事情の視察を目的として派遣された)は、ガス灯に照らされたパリの街を驚嘆の気持ちを込めて眺めた。そして、シャンゼリゼ通りについて「夜は道路傍にガス灯が輝く。その灯は燦然とした珠玉を連ねたようで、地平線まで点々と続いている。」、テュイルリー公園について「夜、ガス灯が灯されるとまるで星空を逆さにしたようで、シャンゼリゼの大通り沿いに灯りが点々と玉のように連なり、自分がまるで絵の中にいる人物のように感じられる。」、さらにパレ・ロワイヤルについて「夜になるとガス灯が輝き、四方の商店のさまざまな陳列品がきらきらと光を反射しているところは、庭中に黄金の気配が充満していると表現してもいいであろう。」と記している。

 ガス灯は、鉄道とともに近代的な都市文明の到来を人びとに印象付け、パリのナイト・ライフが発展するのを助けたが、19世紀の末になると、新たに登場した電灯にとってかわられ、第一次世界大戦の終了とともにパリの街角から姿を消すことになる。

 電気が工業的に無限の可能性を秘めていることは19世紀の初頭に証明され、金属工業などでは早くから実用に供されていたが、意外なことに「電気を光りに変える技術」すなわち照明に関しての進歩はきわめて遅く、ようやく1900年のパリ万国博覧会で新照明のエースとして登場してきたにすぎなかった。

 電気照明は、それが誕生したとき、必ずしも当時の人びとから両手を挙げて歓迎されたわけではなかった。つまり、部屋全体を均質の明るさで照らす電灯は、ヨーロッパの人々、とくにフランス人には眩しすぎると受け止められたのである。だいいち、この照明は、ろうそくと違って、発光源を見つめることができないし、またたとえ見つめることができても、少しも喜びをもたらさない。そのため、世紀末から20世紀の初めにかけて、照明の技師たちは、電球をいかにして隠すかに工夫をこらすようになった。その結果生み出されたものが、電灯の笠である。電球の半透明の傘をかぶせるという工夫は、電灯の光を、ろうそくが照らしていたのと同じ範囲に集中させ、しかも光源が眩しくないようにするためのものだった。その結果、一つの部屋の明るさをまかなうのに、本来なら、ひとつの電球で拡散照明を行えば足りるところを、いくつかの光源に分けて、それぞれ集中照明と間接照明で全体を演出するという形がとられるようになったのである。

 ちなみに、ルノワールは、子供時代に夜のミサで目にしたろうそくの明かりについてこう語っている。

「教会のなかを照らしているのは、聖母や聖者たちの像の前で燃えているたくさんのろうそくだけだった。これらの小さな焔は、ほんの僅かな風にもゆらめき動いた。『ほんとに豊かな感じがしたよ!それなのに、司祭たちはあの生きた光を電気の死んだ光に代えてしまったのだから驚くじゃないか。』彼は電気という新しい照明法についてこんなことを言っていた、『あんなものは光のかんづめさ。かんづめの光など、死骸でも照らしていればいいんだ。』」

ガス灯の点灯

岩倉使節団   左から木戸孝允、山口尚芳、岩倉具視、伊藤博文、大久保利通

ドガ「カフェ・コンセール」1875ー1877

ドガ「カフェ・コンセール アンバサドゥール」1876-77頃 リヨン美術館

ジャン・ベロー「ヴァリエテ座の前の大通りの夜」1883年頃 カルナヴァレ美術館

ジャン・ベロー「カフェ・ド・パリ」1900年頃個人蔵

1900年パリ万博 夜の「電気館」

電気館の点灯 

 この万博で初めて電気によるイルミネーションが採用され、技術と文明が作り出す新しい光の輝きがパビリオンを照らし出した

1900年パリ万博 エッフェル塔の夜景

1900年パリ万博 エッフェル塔の夜景

ジャン・ベロー「ジャルダン・ド・パリの夜の美女「1905年カルナヴァレ美術館

アンリ・ジェルベクス「プレ・カトランの夕べ」1909年 カルナヴァレ美術館

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