「ルノワールの女性たち」22 裸婦(1)

 ルノワールは女たちを熱愛した。生き物のそれぞれにはこの世での特別な使命があるとすれば、女のそれは人生を美しくすることだ。彼はそう考えた。彼の作品の主役はまぎれもなく女であり、彼は生涯を通じて多くの女を描いた。その大半は裸婦だった。

【作品41】「ディアナ」1867年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー

 ルノワールには珍しく神話を主題とした作品。手に弓を持ち、自ら射た鹿をみつめる狩猟の女神ディアナに扮しているのは、リーズ・トレオ。出会った当時ルノワールは24歳、リーズは17歳。そしてその後7年ほどの間、彼女は数多くの作品のモデルをつとめ、少なくとも25点のルノワール作品にその姿をとどめている。1870年にリーズはルノワールの子供を産んだが、二人は1872年ごろに別れてしまい、その後顔を合わせることはなかったようだ。

 この時代、神話的な主題を描くのはもっぱらアカデミックな画家たちだった。ルノワールも、少しでも早く一人前の画家になるために、入選をめざして毎年サロンに作品を送り続けていた(この「ディアナ」は落選)。美術学校で教わるような古代ギリシャやローマの神話仕立てのヌードは、それがサロンお好みであることを承知で描かれたものだ。しかし、単に賞ねらいの作品だったわけではない。ルノワールはそのあちこちに、偉大な先輩画家たちへの敬意をちりばめている。題材に「ディアナ」を選んだのは、18世紀に素晴らしい《浴後のディアナ》を描いた、フランソワ・ブーシェへの敬意から。また、そのころ斬新な絵画でサロンへ果敢に挑戦を続けていたギュスターヴ・クールベやエドゥアール・マネへの憧れが、ディアナのすっきりした明るい色彩となって表れている。

 この作品には、リーズその人へのルノワールの思いは、少しも見えてこない。若い野心と先輩画家たちへの敬意に圧倒されて、その思いはじっと息をひそめているかのようだ。

【作品42】「グリフォン犬と浴女」1870年 サン・パウロ美術館

 ルノワールは、ふたたびリーズ・トレオをモデルに使ったこの作品を1870年のサロンに出品しはじめて入選。この作品は依然としてクールベの強い影響下にある。裸婦はがっちりしていると同時にどっしりしており、(《泉のニンフ》と比較するとわかるが)ルノワールはリーズの体のプロポーションをクールベ風のものにかえている。ルノワールの円熟期の浴女に特徴的な、滑らかな感触や黄金色の輝きはない。

 左手で前を隠している裸婦のポーズは、クニドスのアフロディテのコントラポストのポーズからとられている。しかし、女性の放漫な肉体表現、背後にいる着衣の女性、左奥の舟が停泊する川などは、クールベの《セーヌ河畔のお嬢さんたち、夏》を思わせる。人物は等身大で、サロンの審査に通るように裸婦の部分の筆づかいはしっかりと抑制されている。もっとも裸婦の側の衣服の布の表現はずいぶんと大胆だが。風景は人物の引き立て役として使われており、画面左手の木の間越しに、ピンク色がかった水のきらめきが見える。グリフォンテは耳をそばだて、女主人の衣服の束の上に油断なく座っている。

 この絵はルノワールの、サロンに受け入れられたいという願い(それによって世間に認められたいという願い)と、自由で大胆な絵具の使い方によって光と色彩を観察したいという興味とを折衷したものである。

【作品43】「泉のニンフ」1870~72年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 モデルのリーズ・トレオの視線は真っすぐに我々の方に向けられており、その体は媚びることなく見る者の側に向けられている。彼女の表情や身振りの無心さが、この作品を、サロンに出品するために彼女がポーズをとった数々の作品よりも、ルノワールとリーズとのより個人的な関係の記録としている。リーズの乳白色の肌は、その黒い瞳や眉と強いコントラストをなしている。特に脚の部分にみられる、肌の上に置かれた繊細な青とピンクの色調の使い方は、ドラクロワの影響がクールベにとって代わり始めていることを示している。

FB 「ルノワールの女性たち」22 裸婦(1)

 ルノワールは女たちを熱愛した。生き物のそれぞれにはこの世での特別な使命があるとすれば、女のそれは人生を美しくすることだ。彼はそう考えた。彼の作品の主役はまぎれもなく女であり、彼は生涯を通じて多くの女を描いた。その大半は裸婦だった。

1867「ディアナ」ワシントン・ナショナル・ギャラリー

1870「グリフォン犬と浴女」

1872「泉のニンフ」ロンドン・ナショナルギャラリー

リーズ・トレオ

フランソワ・ブーシェ「浴後のディアナ」ルーヴル美術館

クールベ「女とオウム」1866年 メトロポリタン美術館

「クニドスのアフロディテ」アルテンプス宮 (ローマ国立博物館)

クールベ「セーヌ河畔のお嬢さんたち、夏」1856年 プティ・パレ美術館

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