「ルノワールの女性たち」4 第一回印象派展③「桟敷席」

 「パリの外科手術」とも呼ばれたパリ大改造が始まったのは1853年、ルノワールが12歳の時だった。上下水道が設置され、大通りが町を走り、公園がつくられる。それまで暗く汚く臭かったパリが、明るい近代都市に変わっていく大きな変化とともに、少年ルノワールは成長した。この大改造は1900年ごろまで続けられたが、街が明るくなれば、当然人々が繰り出してくる。鉄道と駅、大通りにテラスを広げたカフェ、瀟洒なブティック、レストラン、サーカス、デパートなどがつぎつぎとつくられ、パリ市民の生活も大きく変わった。少年時代から、どんどん明るくなっていく街の空気や光をごく身近に感じていた印象派の画家たちは、戸外の光をカンヴァスに描く一方で、都市の現代生活を、みずからの重要なテーマとした。

 数多くある娯楽施設の中でも、着飾った男女が集う劇場は、もっともトレンディな場所のひとつだった。音楽を聴き、芝居を見るという観劇本来の目的はもちろん、人々は、集まってきたまわりの人々を眺め、また自分も見られることを楽しんだ。「見られる」というのは、桟敷席のあるヨーロッパの劇場の構造があればこそだ。劇場が王侯貴族の社交の場だった時代など、社交界にデビューする名家の令嬢は、人々から注目されるために劇場に出かけなければならなかった。新しい人間が現れた桟敷席には、いっせいにオペラグラスが向けられる。舞台上でのドラマの進行と同時に、桟敷席というもう一つの舞台で、男女の視線の駆け引きのドラマが進行するという具合だった。ルノワールはそんな視線の駆け引きの場としての劇場を巧みに描いた。

【作品6】「桟敷席」1874年 コート―ルド美術研究所 ロンドン

 第1回印象派展自体は不評だったが、それでもこの作品には買い手がついた(ルノワールは家賃を払うためにわずか425フランで手放してしまったが)。モデルは、当時お気に入りのニニ(「鼻ぺちゃのニニ」と呼ばれたモンマルトルのモデル)とルノワールの弟エドモン。この絵の中でルノワールは、薄く繊細な絵具の層と厚塗りのハイライトによって、イヤリングや真珠、モデルの着ているガウンの絢爛豪華さ、白黒のドレスと(彼女の胸元と髪のバラによって強調されている)彼女の肌の繊細な色調とのコントラスト、ブレスレットとオペラグラスのきらめき、さらにはいくぶん前傾姿勢にすることによって表現される彼女の期待感などをとらえている。男性は文字通り女性とつながっており、女のガウンの黒い縞模様は男の上着の肩に続いている。さらに男は女の美しさと優雅さの引き立て役を演じている。それと同時に男の注意は、この桟敷席の外側の何ものか、あるいは誰かの方に向けられている。オペラグラスは舞台を見るためのものだが、その他の利用法もあった。男性はオペラグラスで上の方を見ている。もしかすると好みの女性を探しているのかもしれない。劇場は、観客同士がお互いを見る場所であり、男女の出会いの場でもあった。

 ところで、1874年の第1回印象派展に出品したとき、この女性は高級娼婦と評された。批評家たちは、少しぼんやりとしたまなざしでこちらを向いている彼女を、「蠱惑的で、頭は空で、悩ましく、愚かな」女と見なしたのだ。

【作品7】「はじめての外出」1876~77年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 ルノワールは「桟敷席」において二人の人物のみに集中したのに対し、ここではボックス席の人物とその周囲とを関連させている。花束を握りしめながらいく分前かがみになっている若い少女は観客の方をじっとみつめている。少女は、初めて劇場に来たのだろう。緊張している様子だが、気を抜くことはできない。というのも、はじめての女性が登場した桟敷席には、周囲からいっせいにオペラグラスが向けられるのがふつうだったからだ。そして実際、向う側の観客席に座る男性が、彼女に視線を向けている。観客たちは流れるような筆さばきで描かれ、頭を色々な方向に向けることによって劇場のざわめきとにぎやかなおしゃべりが表現されている。

1874「桟敷席」

1876「はじめての外出」

1873頃「小桟敷席」  これは舞台に集中する観客を描いた作品


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