「宗教国家アメリカの誕生」15 独立への道(4)「リバイバル」③独立革命への影響

 アメリカ独立革命は、第一次信仰復興運動(「大覚醒」)のおよそ30年後に起きる。その影響関係はどのようなものだったのか?

 森本あんりは『キリスト教でたどるアメリカ史』のなかで次のように記している。

「まず、信仰復興は教派間の相違を棚上げにし、各個教会の独立性を越えた連帯を生んだ。同時にそれは、教職と信徒との差を縮めた。各人の回心体験を通して、一般信徒がこの自覚に目覚め、民主的で平等な権利の意識へと促されたからである。」

 宗教や宗派の境界を越えて展開された大覚醒運動は、ヨーロッパ型教会をアメリカ型の教会に変えたのだ。その特色は、伝道に対する熱意、聖職者を軽視する傾向、典礼にあまりこだわらないこと、それ以上に教区の境界にこだわらないこと、そして何にもまして個々人の経験の重視すること、などだ。その根拠となったのは「ヨハネの黙示録」21章5節「見よ、わたしは万物を新しくする」。これはアメリカの経験を総括する言葉でもあった。

「また私は、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために装った花嫁のように支度を整え、神のもとを出て、天から降って来るのを見た。そして、私は玉座から語りかける大きな声を聞いた。「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となる。神自ら人と共にいて、その神となり、目から涙をことごとく拭い去ってくださる。もはや死もなく、悲しみも嘆きも痛みもない。最初のものが過ぎ去ったからである。」すると、玉座におられる方が言われた。「見よ、私は万物を新しくする。」(「ヨハネの黙示録」21章2節~5節)

 さらに森本はこう続ける。

「さらに、各植民地の地域的な垣根を超える一体感が醸成され、旧大陸の民族的な出自を相対的にみる視点が生まれた。つまり、「イギリス領」植民地は、信仰復興によってはじめて「アメリカ」としての自覚を持つに至ったのである。これらのいずれもが間接的で意図せざる結果であるとしても、総じて宗教的な独立が政治的な独立を助けた、と言うことはできよう。1740年以前には単に地域をあらわす言葉であった「アメリカ」が、それ以後は人々や社会のことを指すようになったのである。」

 それまで各植民地は、それぞれが小さな自己充足世界を作り、主にロンドンとのかかわりを通じて外部とのつながりを感じていた。この孤立状態を大覚醒が変化させた。さまざまな植民地が共通して持っているものを理解し、評価することを教えた。ホイットフィールドはジョージアからニューハンプシャーに至るまで同じようによく知られる、共通の初の有名「アメリカ人」となった。この一体感の形成により、大覚醒は独立革命のもとをつくるできごととなった。

 しかし、新しい地理的一体感以上に重要なのが市民の意識の変化だった。ずっとあとになるが、独立運動の指導者であり第二代大統領でもあるジョン・アダムズはこう述べている。

「革命は戦争が始まる前になしとげられていた。革命は人々の頭と心の中にあった。自分たちの義務と恩義について宗教的な感情が変化していたのである」

 啓蒙運動によって触発されたアメリカ人エリートの合理主義と大衆の間に生まれた大覚醒の精神が一つになって、革命という政治的な目的へ向かう世論の高まりが可能になった。革命そのものがやがて来たるべき終末のできごとと同一視される。どちらの力ももう一方がなければ成功しなかっただろう。この宗教的背景なしに革命は起こり得なかった。アメリカ革命とフランス革命の本質的なちがいは、アメリカ革命がその発端において宗教的なできごとであったのに対し、フランス革命は反宗教的なできごとだったことである。その事実がアメリカ革命を最初から最後までかたちづくり、それによって生まれた独立国の性格を決定することになった。

ホイットフィールドの説教

ホイットフィールドの説教

ギルバート・ステュアート「ジョン・アダムス」ナショナル・ギャラリー・オブ・アート ワシントン

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