「宗教国家アメリカの誕生」14 独立への道(3)「リバイバル」②映画『エルマー・ガントリー』

 すでにロンドンで名説教者として鳴らしていたホイットフィールドは、1740年、アメリカに1年間滞在し、ジョナサン・エドワーズを含む多くの人からの招きに応じて、東海岸のジョージアからメインまでを回り、何千という聴衆を前にして、ほとんど毎日のように説教を続けた。若い頃は俳優を志していただけあって、声もよく通り、身振り手振りを交えた平易な言葉で多くの人々を魅了。ある時など、旧約聖書の中の「メソポタミア」という一語を何度も語調を変えて叫ぶだけで、全聴衆を涙にうち震わせたと言われる。聴衆の中にはベンジャミン・フランクリンもいた。彼は、噂を聞いて半信半疑で出かけたものの、説教が終わるころには有り金をはたいて献金してしまうほど心を動かされ、その後はホイットフィールドの良き友となって彼の説教集を出版することになる。

 ホイットフィールド自身はオックスフォード大学を卒業しているが、巡回説教師に学歴は必要なかった。必要なのは、単純素朴な言葉で、人の心をわしづかみにするような説教だけ。信仰以外に何の元手もいらず、成功例に刺激されて有名無名の人々が我も我もと名乗りを上げ、町から町へと渡り歩いて神を商売にした。客を取られたかたちになった規制教会の牧師たちは、やっきになって巡回説教師たちを取り締まろうとする。「ハーバードかイェール大学の卒業者でなければ、教会では説教させない」ことを仲間内で定めたりするが効果なし。リバイバル集会の多くは、町の広場や森の空き地など、野外で開催されたからだ。

 逆に、リバイバリストたちは牧師に向かって言い返す。

「神は福音の真理を『知恵のある者や賢い者』ではなく『幼な子』にあらわされる、と聖書に書いてある(『マタイによる福音書』11章25節)。あなたがたには学問はあるかもしれないが、信仰は教育のあるなしに左右されない。まさにあなた方のような人こそ、イエスが批判した『学者パリサイ人のたぐい』ではないか!」

 日本人にはなじみの薄い「リバイバル」を具体的にイメージするには映画『エルマー・ガントリー』(主演:バート・ランカスター 1960年)を観るのがいい。原作は、シンクレア・ルイスの同名の小説(1927年)。映画の中でのエルマー・ガントリーは、旅回りのセールスマンで、各地を渡り歩いて、相手を上手な口車に乗せて要らぬ商品を売りつける。だがどういうわけか、妙な宗教心を持っており、その宗教心を言葉で表現し、人々の心をとらえるのがうまい。そんなエルマーが、リバイバルの一宗派「神の家」の人々と出会い、その女教祖に複雑な愛を覚える。リバイバル運動の興味深い動きを、男女の恋愛に絡めて展開する。

 このエルマー・ガントリーには実在のモデルがいる。ビリー・サンデー(1862~1935)だ。彼は、大リーグ選手を経てキリスト教の大衆伝道者になるという風変わりな経歴の持ち主。孤児院育ちで学歴は高校中退。聖書や神学を学んだことは全くない。しかし、彼の説教は面白くて一般大衆には大受けだった。その説教は、野球選手だった経歴をひけらかすように、壇上を走りイスを振り回す、とてつもなく型破りなスタイルだった。映画の中で、エルマー・ガントリーが民衆の先頭に立ち、リパブリック賛歌を合唱しながら街を練り歩き、闇酒場を急襲して破壊する場面が出てくるが、これはビリー・サンデーが民衆組織の有力な方法として実際に行っていたことだという。ビリー・サンデーは、とにかく型破りの人間で、宗教活動をショー・ビジネスにしたと批判されている。もっとも当人はそんな批判はどこ吹く風。その手法を批判されると、次のように語る。

「そうさ、あんたは5ドルもする百科事典で、俺は2セントのタブロイド紙だ。お高くとまった連中は、そういうのが好みかもしれん。だが、ハーバード主義・イェール主義・プリンストン主義にはうんざりだ。おれは神学も生物学も知らないし、学問は何ひとつ知らない。だがな、大衆は誰も百科事典なんか買わない。タブロイド紙を喜んで買うんだよ。おれがその大衆だ。」

説教をするビリー・サンデー

映画「エルマー・ガントリー 魅せられた男」

ビリー・サンデーの説教 1915年3月15日

ビリー・サンデーの伝道集会 1909年3月7日

ビリー・サンデー 1921年

1922年 ホワイトハウスでのビリー・サンデー

ジョージ・ホイットフィールドの説教 1857年 

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