「宗教国家アメリカの誕生」7 コロンブスからメイフラワー号(5)「ピルグリム・ファザーズ」②

 メイフラワー号に乗ってアメリカに渡った102人(「ピルグリム・ファーザーズ」と呼ばれる)全体がピューリタン(厳密にはセパラティスツ 「聖徒」saints)であるというイメージを持っている人が多いようだが、実はピューリタンでない人(「よそ者」strangers)が半分以上だった。このことを押さえておかないと、「メイフラワー誓約」の意義が理解できない。

 1620年9月にイギリスのプリマス港を出発したメイフラワー号は、11月9日、入植許可を得ていた「北緯34~41度」区域よりも北のコッド岬(北緯42度)の沖に到着する。そこで41度より南のほうへ行こうと再びメイフラワー号は出発するが、大変な嵐、高い波に阻まれて南下できず、途中から引き返しコッド岬沖に戻る。そして上陸しようとするが、そこで厄介な問題が生じる。到着したのが許可区域外であったため、かねて航海中から不満を鬱積させていた「よそ者」たちの間に、上陸後は「聖徒」たちと別行動を取ろうとする動きが出たのである。つまり、一緒に乗ってきた「よそ者」たちの間に、ヴァジニア会社の許可を得たヴァジニア地方に上陸するなら一緒に行動せざるをえないが、別のところへ上陸するならば、我々は別行動したい、という動きが出てきたのだ。ピューリタンたちは家族ぐるみで来ているから、女、子どもが多い。そのため、ピューリタンたちと一緒にやっていくとなると、自分たちは彼らのために働かされてしまう。だから、自分たちだけで別行動をしたい、と考えたようだ。しかし、そうなるとピューリタンたちは困る。自分たちだけでアメリカの荒野の中で新しい社会を作っていくことは困難だ。やはり「よそ者」たちの労働力が必要であり、彼らと協力して建設しなければならない。そこで、船中で話し合い、行動を共にするということで11月11日、「メイフラワー誓約」を結ぶ。その全文はこうだ。

「神の名において、アーメン。下に署名した我々は、グレートブリテン、フランスおよびアイルランドの神、国王、信仰の守護者、等々の恩寵によって、崇敬する君主である国王ジェームズ1世 (イングランド王)ジェームズの忠実な臣民である。 神の栄光とキリスト教信仰の振興および国王と国の名誉のために、ヴァジニアの北部に最初の植民地を建設する為に航海を企て、開拓地のより良き秩序と維持、および前述の目的の促進のために、神と互いの者の前において厳粛にかつ互いに契約を交わし、我々みずからを政治的な市民団体に結合することにした。これを制定することにより、時々に植民地の全体的善に最も良く合致し都合の良いと考えられるように、公正で平等な法、条例、法、憲法や役職をつくり、それらに対して我々は当然の服従と従順を約束する。君主にして国王ジェームズのイングランド、フランス、アイルランドの11年目、スコットランドの54年目の統治年11月11日、ケープコッドで我々の名前をここに書することを確かめる。西暦1620年

                                  以下41名の署名 」

 この誓約の中心は、共に行動する一つの政治体を作ることを約束した点。署名した成人男子41名は、「聖徒」側は奉公人2人を加えて19名、「よそ者」側は奉公人2人、雇人3人を加えて22名。彼らは、信仰は異なる(「よそ者」のほとんどはイギリス国教会会員)が、共に一つの社会を形成するために契約を結んだ。「聖徒」側と「よそ者」側とがそれぞれの信仰の立場の違いを認めながら、多元的でありつつ、政治的には一つの団体を作ったのだ。これは、国王による特許状もなく、私企業による管轄許可の権限をも越えた政治行政上の空白地域で、異質な志を持つ者たちが相互の合意と契約をもって新たな権力の正当性を創出する試みであった。その限りこの契約は、今日でも多くの移民の統合により成立している多元国家アメリカの原型と言うことができる。

 この契約が成立し、1か月ほど後に上陸した「聖徒」と「よそ者」とは、協力して植民地形成に務める。しかし、プリマスはすでに厳冬期を迎えており、準備もなく疲弊した彼らは、仲間の半数を最初の冬で失った。

ミケーレ・ フェリーチェ・コーン「ピルグリムの上陸」ホワイトハウス

ミケーレ・ フェリーチェ・コーン「ピルグリムの上陸」ホワイトハウス

メイフラワー誓約、ブラッドフォードによる写し

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