「宗教国家アメリカの誕生」1 宗教色(1)アメリカ大統領就任式
アメリカは宗教国家だ。しかし、「サウジアラビアは宗教国家だ」というのとは意味合いが異なる。サウジアラビアは、イスラム教ワッハーブ派を国教とし、国民が他の宗教を信仰することを禁じており、サウジアラビア国籍の取得の際にもイスラム教への改宗が義務付けられている。イスラム国家に限らず、キリスト教国でも、国教を定めている国はある。例えば、デンマーク。憲法上、福音派ルーテル教会をデンマーク国教会として王国はこれを支援すべきことを定めている。ただし、サウジアラビアとは違って信教の自由は認めている。アメリカは、サウジアラビアはもちろん、デンマークとも異なり、国教を憲法で禁じている。
「合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を自由に行なうことを禁止する法律・・・を制定してはならない。」(合衆国憲法修正第1条)
では、アメリカが宗教国家、とはどのような意味においてか?印象的な光景から見てみよう。まず大統領の就任式。大統領は聖書に手を置いて、誓いの言葉を述べるが、その締めくくりは「So help me god.」 (「神に誓って」)。2017年の大統領就任式でトランプは、19世紀にリンカーン大統領が使った聖書と、子供の時に母親に贈られた聖書の2冊で宣誓を行った。オバマ大統領は2013年の就任式でリンカーンの聖書とマーティン・ルーサー牧師の聖書を使用した。このように就任式では聖書が使われるのが慣例となっているが、憲法では特に聖書の使用について定められていない。慣例を作ったのは初代大統領ジョージ・ワシントンである。
聖書を使わずに宣誓を行った大統領はいないのか?存在する。第6代大統領ジョン・クインジー・アダムズ(第2代大統領ジョン・アダムズの息子)。彼は敬虔なキリスト教徒であったが、宣誓の際に法律書を使用した。それは法の支配を体現するためであったと考えられる。他にも第21代大統領チェスター・アーサーと第26代大統領セオドア・ルーズベルトが聖書を使用していない。両者ともに前任者の急死によって大統領職を継承しているので、たまたまその場に聖書がなかった。
では、もしキリスト教徒以外がアメリカ大統領に就任する場合、聖書は使用されるのか。これまでキリスト教徒以外がアメリカ大統領に就任した例はない。そこで参考になるのがキース・エリソン連邦下院議員の就任宣誓である。エリソンはスンニ派イスラム教徒初の連邦議員である。2007年に就任宣誓を行う際、トマス・ジェファソンが所有していたコーランに手を置いて就任宣誓を行っている。もし将来、キリスト教徒以外が大統領に就任する場合の先例となるのではないか。
それでも明らかに日本とは異なるのは大統領就任演説。まず必ずと言っていいほど締めくくりに「神」が登場する。
まず2017年トランプ大統領就任演説
「我々はアメリカを再び豊かにする。我々はアメリカを再び誇り高くする。我々はアメリカを再び安全にする。そして共に、我々はアメリカを再び偉大にする。ありがとう。諸君に神のご加護を。アメリカ合衆国に神の永遠のご加護を」
次に2009年オバマ大統領就任演説
「私たちの子孫にこう言われるようになりましょう。試練にさらされたとき、私たちはこの旅を終わらせることを拒み、後戻りすることもたじろぐこともなく、地平線と神の恩恵をしっかり見つめ、自由という偉大な贈り物を未来の世代に無事に届けたのだと。」
2003年のクリントン大統領就任演説は、より宗教色が濃い。
「国民諸君よ。21世紀を迎えるに当たり、活力と希望を、信念と規律を持って始め、最後まで取り組もう。聖書は言う「たゆまず善を行いましょう。倦むことなく励んでいれば、時が来て、刈り取ることになります。」。この祝賀という歓喜の山頂にいる我々の許に、国に尽くせとの呼び声が谷間から聞こえてくる。トランペットの音が聞こえた。守り手が交代した。今こそ、各々のやり方で、神の助けを借りつつ、呼び声に応えねばならない。ありがとう。諸君全員に神のご加護のあらんことを。」
2009年オバマ大統領就任式
2017年トランプ大統領就任式
1789年 アメリカ合衆国初代大統領就任式
聖書に手を置いて宣誓するジョージ・ワシントン
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