「万の心を持つ男」シェイクスピア16『ヘンリー四世』⑤フォルスタッフ(3)

 小田島雄志はフォルスタッフのことを端的にこう評している。

「リアリズムとユーモアをこねて巨大な肉団子にしたような男である。ここで言うリアリズムとは、「人間ってしょせんこんなものさ」と虚飾をはぎ取って見る目のことであり、ユーモアとは、「人生ってそれでいいじゃないか」と許容する楽天的感性のことであって、その二つはいわば盾の両面のように同じ一つの精神の二面なのである。」(『シェークスピア劇のヒーローたち』日本放送出版協会)

 リアリストの眼は当然自分自身にも向けられる。

「昔は俺も聖人君子だった、紳士の鑑だった。聖人君子らしく、悪態なんぞは滅多に吐かず、サイコロばくちはせいぜい七度――1週間にな。女郎通いにはたったの一度――1時間にな。借りた金はきちんと返した、こともあったっけ、三度か四度。品行方正に律儀に生きてきた。それがどうだ、いまじゃ羽目のはずしっぱなしで、だらしない体たらくだ。」

 居酒屋で財布をすられたと嘘をつき、ハル王子に「お前のその腹には信義や誠実、正直といったものが入る余地はないだろう」「この下劣で厚顔無恥な、でぶっちょの無頼漢」「まだ出鱈目を言い張って、腹黒さをさらけ出すのか。恥を知れ。」とがめられた時もこう答える。

「まあ聞けよ、ハル。知ってのとおり、アダムは罪も汚れもない楽園にいたのに堕落した。だったら罪と汚れだらけの現世にいる哀れなジャック・フォルスタッフはどうすりゃいい?ご覧のとおり、俺は並の人間より肉が多い、だからして誘惑に負けやすいんだ。」

 また高等法院長から「あんたは若い王子にとりついて、行く先々ついて回り、まるで悪いエンジェルだ。」と言われるとこう返す。

「とんでもない、エンジェルってのは軽いもんです、・・・ところが私は、いちいち目方を量るまでもなく、本物としての重量があるのは一目瞭然。・・・そもそもあんた方年寄りは、俺たち若いもんの能力を見くびっている。あんた方は自分の胆汁の苦さを物差しにして、俺たちの熱い情熱を測ろうとする。若さの最前線にいる俺たちにゃ、ぶっちゃけた話、若気の至りってこともありますがね。」

 高等法院長も負けてはいない。

「あんた、まだ若者の名簿に名を連ねているつもりか、その顔には歳を表すあらゆる文字で「年寄り」と書いてあるぞ。すなわちしょぼついた涙目、かさかさに乾いた手、土気色の頬、白い髭、骨と皮の脛、肉の山の腹、どうだ?声はがらがら、息はぜえぜえ、顎は二重でたぷたぷし、知恵は一重で薄っぺら、体じゅうどこもかしこもガタがきて老醜をさらしている。それでもまだ「若い」というのか?いい加減にしろ、サー・ジョン!」

 これで引き下がるフォルスタッフではない。

「閣下、私が生まれた時刻は一日が熟した午後3時、白髪頭も太鼓腹もそのときからでして。声ががらがらになったのは、猟犬をけしかけたり、賛美歌を歌ったりしすぎたからです。私の若さの照明はこのくらいにしておきますが、実を申せば、私のなかで老成しているのは判断力と理解力だけです。1千マルク賭けて私とダンス合戦をしようという御仁がいたら、賭け金はとりあえずそいつに借りるとして、いつでも相手になりますよ。」

 あきれた高等法院長から「やれやれ、神よ、王子にはもっといい付き合いを送り届けたまえ!」と言われると、即座にこう返す。

「神よ、付き添いにはもっといい王子を送り届けたまえ!あいつとは手を切りたくても切れないんでね。」

ジョン・カウズ「新兵を募るフォルスタッフ」

「フォルスタッフとその小姓」

エドゥアルト・グリュッツナー「フォルスタッフ」

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