「万の心を持つ男」シェイクスピア17『ヘンリー四世』⑥フォルスタッフ(4)
フォルスタッフの名セリフの中で、酒の効用について述べたものがある。自分の思いにピッタリのセリフだ。ただし「シェリー」を「ワイン」と読み替えてのことだが。
「いいシェリーには二重の効果がある。まず、頭にのぼってって、そこに溜まってる愚かでどんよりした毒気を一掃してくれる。でもって頭の働きを明晰・敏捷・創造的にする。となると、頭ん中は生き生きした火のような、とびきり愉快なもので一杯になる、そいつを舌に載せて声に出すってえと生まれてくるのは冴えに冴えた絶妙のウィットだ。極上のシェリー酒の第二の効用は、血をあっためてくれることだ。飲む前は冷たく澱んでるんで肝臓が生っちろい。そういう肝臓は意気地なしと臆病のしるしだ。だがシェリーをぐっとあおってみろ、あつくなった血が五臓六腑から四肢五体の末端まで駆け巡り、顔にぱっと火をともす。これがいわばのろしとなり、人間という王国の津々浦々に「武器を取れ」って合図が伝達される。するてえと、活力のもとの平民や精鋭が近郷近在から心臓隊長のもとへ馳せ参じる。こうなると心臓は勇気凛々、どんな武勲も立て放題。で、勇気の源はシェリー酒だ。シェリーがなけりゃ剣の腕前もかたなしだ、シェリーが腕を動かすんだから。学問だって同じこと、いわば悪魔が隠して見張ってる宝の山だ、シェリーのおかげでその宝が開陳され活用される。ハル王子が勇敢なのもシェリーの賜物だ、もともとは親父譲りの冷血で、痩せて不毛な荒れ地だったのが、極上のシェリー酒を養分たっぷりの肥やしにして鍬を入れ、開墾に励んだんで、あれだけ勇敢な熱血漢になったんだ。俺に息子が千人いたとしても、人として貫くべき主義として全員に教えてやるぞ。弱い酒は断じて飲むな、シェリーは浴びるほど飲めってな。」
ヘンリー4世の治世も終わりをむかえる。死を前にして、王は次期国王ハル王子のことが心配でならない。しかしウォリック伯はこう反論する。
「殿下はいまお仲間を、外国語の様に勉強していらっしゃるに過ぎません、それを習得するには最も卑猥な言葉にも触れて習い覚えることが必要です。しかしいったん覚えてしまえば、陛下もご存じのとおり、その言葉の意味が分かって嫌気がさし、もう使う気にならないものです。殿下にしても、しかるべき時が来れば、そういう言葉と同じように、あの取り巻きどもをお捨てになる、そして彼らの思い出は見本かあるいは物差しとなって残り、人を判断なさる規準としてお役に立つでしょう、過去のご乱行が大きな強みになるのです。」
ヘンリ4世は亡くなり、ハル王子がヘンリー5世として即位する。そして弟たちにこう宣言する。
「かつての放蕩無頼は父上と共に埋葬された、・・・。これまで私の血は驕り高ぶり愚行に向かって流れていた。だがこれからは向きを変えて海を目指す、大海原では雄大な潮に合流し、王者として威風堂々と流れるだろう。」
即位してヘンリー5世となったハルに当然重用されると思って乗り込んで行ったフォルスタッフだったが、王は冷たくこう言い放つ。
「私はお前など知らない、老人よ。・・・私はかつての自分を捨てたのだ。付き合っていた仲間も捨てる・・・お前を追放に処す。・・・我が身十マイル以内に近づけば即刻死刑だ。」
フォルスタッフの言行が、言い抜け、ごまかし、詭弁、自己弁護など、恥知らずで厚顔の極みでありながら、どこか愛嬌があって憎めないのは、彼が脇役という立場にあったからだ。もし彼が、国王の側近などという格調高い政治世界にまで首を突っ込めば、軽蔑され卑しめられるのがおち。世俗世界の脇役だからこそ、フォルスタッフの不埒な言行はハル王子からも観客からも許され、愛されていたのである。『ヘンリー五世』では、追放後まもなく失意の中で、死んだことが仲間(ピストール、バードルフ)の口から語られる。ピストールが言う。「地獄ででもいいから、ヤツと一緒にいたいよ」。大好きなセリフだ。
ジョン・カウズ「家来ピストルからヘンリー4世の崩御の知らせを聞くフォルスタッフ」
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「ヘンリー5世」ナショナル・ポートレート・ギャラリー
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