「万の心を持つ男」シェイクスピア9『ヴェニスの商人』②

「万の心を持つ男」シェイクスピア9『ヴェニスの商人』②

 まずポーシャ(裁判官)はアントーニオに証文の確認を行ったうえで「では、ユダヤ人が慈悲を施すしかない。」と言い、「わたしが、何に強制されて?うかがいたいものですな。」と答えるシャイロックに、次のようなシェイプスクスピア劇中でも有名な名セリフを述べる。

「慈悲は強いられて施すものではない、恵みの雨のように天から降り注ぎ地上をうるおすものだ。そこには二重の祝福がある。慈悲は施すものと受けとるものを共に祝福するのだ。これこそ最も強大なものが持つ最も強大な力、君主には王冠より似つかわしい。・・・地上の権力が神の力に似通うのは慈悲が正義をやわらげるときだ。だからユダヤ人、お前は正義を請い求めてはいるが、こう考えてみろ、正義ひとすじでは人間誰ひとり救済にはあずかれない。私たちは慈悲を求めて祈る、その祈りそのものが私たちすべてに慈悲を施せと教えているのだ。私がこう言うのも、お前の正義の訴えを和らげたいからだ。・・・」

 それを聞いてもシャイロックの返答は「私が要求するのは法律だ、証文どおりの借金の担保だ。」

 バサーニオが、アントーニオに代わって借金をその場で払うと言う。「二倍にして――それでも不足なら十倍にしてもかまわない、必ず払う」とまで言ったのを受けてポーシャは再度「慈悲を示せ、三倍の金を取って、この証文を破れと言ってくれ。」とシャイロックに迫るがシャイロックの気持ちは変わらない。

「魂にかけて誓うが、どんな人間の舌であれ私を変える力はない――あくまで証文どおりにしてもらおう。」

 結局、ポーシャはシャイロックにこう言わざるを得ない。

「その商人の肉1ポンドはお前のものである、当法廷がそれを認め、国法がそれを与える。・・・よってお前は、その男の胸から肉を切り取らねばならない。国法がそれを赦し、当法廷がそれを認める。」

「実に博学な裁判官様だ!」と喜ぶシャイロックにポーシャはこう言い放つ。

「待て、しばらく、まだあとがある――この証文はお前に一滴の血も与えてはいない、ここに明記されているのは「肉1ポンド」。従って、証文どおり、肉1ポンドを取れ、だが切り取るとき、もしキリスト教徒の血をたとえ一滴でも流せば、お前の土地も財産もヴェニスの法律にしたがいヴェニスの国庫に没収される。」

 驚いたシャイロックが「先ほどの申し出を飲みます――証文の三倍払ってもらえばこのキリスト教徒を許してやります。」と言っても、それまでのシャイロックの言葉を逆手にとって「このユダヤ人に与えるのは正義だけだ・・・担保以外は何ひとつ与えてはならない。」答えるポーシャ。「元金だけでもいただくわけにはいきませんか?」とシャイロックが求めても「担保以外には何ひとつ取らせるわけにはいかない。しかも、命がけでだ、ユダヤ人。」と言われ「くそ、勝手にしやがれ。長居は無用だ、問答なんぞに付き合ってられるか。」と法廷を去ろうとする。しかしポーシャはさらなる厳しい言葉を投げかける。

「待て、ユダヤ人、お前に対する法律の拘束力はほかにもある。ヴェニスの国法はこう定めているのだ、ヴェニス市民にあらざるものにおいて直接、間接の別を問わず、市民の生命を奪わんとする意図が明白なる場合、生命を狙われたる市民は、相手の財産の半分を取得し、他の半分は国庫に納めるものとする。なお、罪人の生命は公爵の裁量にのみ委ねられ、何人も異議を差しはさむことを得ず。いいか、お前の立場はこれに該当する。・・・」

 結局、公爵の慈悲で命を救われ、アントーニオの慈悲で財産の半分に対する罰金は免除され、残り半分はシャイロックの死後、彼の娘の恋人ロレンゾー(キリスト教徒)に譲ることになる。ただし、キリスト教徒に改宗することを条件にして。以上みてくると、『ヴェニスの商人』は善人キリスト教徒が悪人ユダヤ人を懲らしめる勧善懲悪物語になってしまうが、それだけの物語なのだろうか。単にユダヤ人差別を助長するような話なのだろうか。

映画『ヴェニスの商人』2004年 シャイロック:アル・パチーノ 

 法廷でアントーニオの肉を切り取ろうとするシャイロック

リチャード・ウェストール『ヴェニスの商人』フォルガー・シェイクスピア図書館

 話し合いでの解決を求めるアントーニオに「証文どおり」を繰り返すシャイロック 

『ヴェニスの商人』「シャイロックとジェシカ」

ウィリアム・シェイクスピア『ヴェニスの商人』

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