2020.12.31 23:04「ベル・エポックのパリ」6 第三共和政の危機と変容(3)「ライシテ(非宗教性)」 第三共和政はフランス革命原理の一定の制度的定着をもたらしたが、なかでも最も困難な課題は「新しい人間をつくる」こと、すなわち共和主義的世界観をもった公民を育成することであった。国民統合の最後の仕上げは、青少年の教育からキリスト教的世界観に基づく生活習慣を排除することだったと言い換...
2020.12.31 01:57「ベル・エポックのパリ」5 共和政の危機と変容(2)「ドレフュス事件」 ブーランジェ事件の後、オポルテチュニストが旧オルレアン派と結ぶ中央右派政治の時代となるが、ここに第二の危機「ドレフュス事件」がおこった。発端は陸軍省内のスパイ事件である。当時における反ユダヤ主義の高まりの中、ユダヤの参謀大尉ドレフュスがドイツへ軍事機密を渡したとして確たる証拠も...
2020.12.29 21:53「ベル・エポックのパリ」4 共和政の危機と変容(1)「ブーランジェ事件」 1880年代の穏健共和政は、その後二度の大きな政治的危機を体験し、共和政そのものも大きく変容することになる。第一の危機は、1880年代後半の「ブーランジェ事件」。1886年に陸軍大臣に就任したブーランジェ将軍は、軍部高官にはめずらしく民衆出身の共和派軍人であり、軍隊の共和主義化...
2020.12.28 23:13「ベル・エポックのパリ」3 第三共和政と国民統合 1880年代の共和政を主導したのは、穏健共和派と呼ばれるグループである。当時の共和派は大きく分けて穏健共和派と急進派のふたつのグループが存在し、クレマンソー率いる後者が共和主義の理念に即した抜本的な改革を主張したのに対し、ジュール・フェリーを中心とする前者は急激な改革を望まず、...
2020.12.27 23:14「ベル・エポックのパリ」2 普仏戦争の敗北(2)パリ・コミューンから共和政の確立まで ドイツとの講和が結ばれたにもかかわらず、パリでは抗戦を求める動きが続いていた。苦しい包囲戦を耐え抜いてきたパリ市民にとって、政府による休戦は許しがたい裏切りとして映り、またドイツ軍がパリ市内を行進したことは、彼らの愛国心をいやがうえにも刺戟した。これに対し、当時行政長官の任にあ...
2020.12.27 01:44「ベル・エポックのパリ」1 普仏戦争の敗北(1)パリ包囲戦 19世紀から20世紀への転換期のフランス、とくに1890年代から1914年までの時期は「ベル・エポック」(よき時代、うるわしき時代)と呼ばれる。これは第一次世界大戦後の荒廃した時期に戦前の時代を懐かしんで生まれた言葉であり、豊かな生活、平穏な社会、爛熟した文化を持つ幸福な時代が...
2017.11.30 05:07真善美のバランスマリア・テレジアがすぐれた政治家だったことは疑いようがないが、人間としての魅力という点では真面目過ぎて面白さには欠ける。財政縮減という課題があったにせよ、モーツァルトを自分の宮廷で雇いたいという息子フェルディナント大公への手紙でこんなことを書いている。「あなたは若いザルツブルク人...
2017.11.30 05:03マリー・アントワネットの審美眼写真はすべて日本の工芸品。さて誰が所持していたんでしょうか?答えは、マリー・アントワネット。彼女と日本の不思議なつながり。彼女の確かな審美眼。今日は、毎日文化センターで「マリー・アントワネットとフランス革命」の講演。これまで最も多く講演してきたテーマだけど、やるたびに新たな発見。...