真善美のバランス
マリア・テレジアがすぐれた政治家だったことは疑いようがないが、人間としての魅力という点では真面目過ぎて面白さには欠ける。財政縮減という課題があったにせよ、モーツァルトを自分の宮廷で雇いたいという息子フェルディナント大公への手紙でこんなことを書いている。「あなたは若いザルツブルク人を自分のために雇うのを求めていますね。私にはどうしてかわからないし、あなたが作曲家とか無用な人間を必要としているとは信じられません。・・・あなたに無用な人間を養わないように、・・・乞食のように世の中を渡り歩いているような人たちは、奉公人たちに悪影響を及ぼすことになりますしんっぜ。」モーツアルトの学習の場、活躍の場を求めてヨーロッパ中を旅する一家を乞食呼ばわりするとは。今の日本の政治のように無駄は大いに省くべきだが、極端な合理主義は生活を干からびさせる。人間は「真善美」のどれに比重をおくかでタイプがわかれるのだろうが、「真」だけでも「善」だけでもつまらない。自分がなぜイタリア人やフランス人、江戸っ子に惹かれるのか。そして時代を動かしたリーダーとして圧倒的にユリウス・カエサルに惹かれるのか。「美」への傾倒やそのエピキュリアン(快楽主義)的生き方が関係しているのだと思う。しかし、今の学校教育はあまりに「真」と「善」に偏りすぎていて、新しい時代を切り開く柔軟な思考力、創造力に富んだ人材を育成する力が乏しい。今のままでは日本は魅力、活力に乏しい国に成り下がってしまうのではないか。
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