「レオナルド・ダ・ヴィンチとミラノ公イル・モーロ」3「イル・モーロ」②愛人(1)チェチーリア・ガッレラーニ

 イル・モーロの愛人で有名なのはチェチーリア・ガッレラーニ。レオナルド・ダ・ヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」のモデルと見なされる女性だ。ガッレラーニ家はもともとトスカーナのシエナの貴族で、彼女の祖父の代にわけあってミラノに移住。父ファツィオ・ガッレラーニはミラノ公国の財務長官であり、フィレンツェやルッカへの大使も経験した公国有数の貴族だった。また母親は、父が法学者でミラノ貴族の知識人の家系。だからチェチーリアは、教養があって、トスカーナ語を話すという点で、土着のミラノ人とはかなり違った目立つ存在だった。彼女は早くからミラノ宮廷にお目見えしたと思われるが、チェチーリアがまだ7歳だった1480年に父ファツィオは亡くなり、16歳ごろにイル・モーロの愛人となる。

 1491年1月にイル・モーロがフェッラーラのエステ家から花嫁ベアトリーチェ・デステを迎えるまでのほぼ10年間、彼女はミラノ宮廷においてひときわ華麗な花形的存在であった。イル・モーロは、結婚後もチェチーリアを1491年5月に出産したイル・モーロとの婚外子チェーザレとともにスフォルツァ城内に住まわせたが、1492年7月、スフォルツァ城から出て、ベルガミーニ伯爵と結婚する。すべてはイル・モーロの配慮。この男、その権力簒奪のやり口を見ても、狡猾さ、残虐さも目立つが、見かけよりずっと複雑で、教養があり、心優しいところがあった。父親の権威を笠に着てチェチーリアを追い出そうとする新妻の威嚇にもかかわらず、子どもが生まれるまでチェチリアを城内においてやり、その後は貴族の夫や立派な住居をあてがうなど、母親になる女性へのいたわりや、生まれる子への情愛は強かった。

 こんなイル・モーロから、ミラノ宮廷に仕えるようになったレオナルドが最初に与えられた注文は、チェチーリアの肖像画を描くことだった。大幅な加筆があり、背景も平坦になってしまっているが、顔やうなじなどはレオナルドの筆の特徴をよく残している。特に、レオナルド特有の手法が見いだせるのはいわゆる「対位法的構成」。画中の中心軸に対して頭首を左に捻りつつ、しかし上体は右方7対3の前向きポーズ。ロンバルディア地方ではそれまでになかった革新的な表現だ。しかも、白貂のしなやかに曲がりくねった体躯は、既述のごとくこの女性の上体の捻りをなぞるかのようにやはり対位法的であり、彼女と同一方向に向けられ

 レオナルドが描いたチェチーリアの肖像画は、ミラノ宮廷の内外で大きな反響を呼ぶものとなった。ミラノ宮廷のお抱えは詩人ベルナルド・ベッリンチョーニは「レオナルド師描くマドンナ・チェチーリア像に寄す」と題するソネットで、いつもながらの大仰な調子で書いている。

「自然よ、汝は誰を羨むのか           

 汝の誇る星のひとつを描けるヴィンチを。

 麗しきチェチーリア、その美しい瞳に比すれば  

 太陽の光すら暗く翳ってしまうほど。

 ・・・・・・

 思ってみるがいい、彼女が生き生きと美しければ 

 来るべき世に汝の栄光は輝くだろう。

 ゆえに汝は感謝するがよい、ルドヴィーコに、  

 そしてレオナルドの才知と技に

 二人はのちの世の人々と彼女を分かち合おうとしているのだ。」

 やがてその評判は、当代きっての美術収集家マントヴァ侯妃イザベラに届き、強い羨望の念を抱かせるほどの熾烈な関心を惹起させる。そして、借りだしたチェチーリアの肖像画を見て、自分の肖像画をレオナルドに委嘱しようとの決心を固めさせる。

 ところで、この肖像画で印象的なのは顎の下の処理。髪の毛を両端から引っ張ってきて、顎の下を取り巻いているように見える。しかし、どのような服飾に関する資料を調べても、このようなファッションにはお目にかかれないようだ。どういうことか?エックス線写真を見ると、髪は耳を隠しながら穏やかにカーブして、後ろで束ねられている。それは当時の最新流行のスペイン風髪型だった。変わってしまったのは、後世の修復者が、当時のミラノで流行したファッションのことを知らなかったためのようだ。

ニコラ・チャンファネッリ「ルドヴィコに発明の数々を説明するダ・ヴィンチ」

レオナルド・ダ・ヴィンチ「白貂を抱く貴婦人」チャルトルスキ美術館 クラクフ

クリストフォロ・ロマーノ「ベアトリーチェ・デステの胸像」ルーヴル美術館

クリストフォロ・ロマーノ「ベアトリーチェ・デステの胸像」ルーヴル美術館

 頭の後ろで束ねた髪の毛を、「トリンツァーレ」と呼ばれるリボンでぐるぐる巻きにして、下に長く垂らす、典型的なスペイン風の髪型

ジョバンニ・アンブロージオ・デ・プレディス「ビアンカ・マリア・スフォルツァ」ワシントン・ナショナルギャラリー

 当時ミラノ宮廷で流行したスペイン風髪型の特徴がよくわかる

ティツィアーノ「イザベラ・デステ」ウィーン美術史美術館

 イザベラ・デステはイル・モーロの妻ベアトリーチェの姉。彼女は知性、才能、美貌のいずれにおいても妹より勝っていたが、妹が嫁いだミラノ公国は北イタリアの大国で、イザベラの嫁いだマントヴァよりもずっと核は上だった。妹の結婚にショックを覚えたイザベラは一念発起。芸術と文化のレベル向上によってマントヴァと自らを世界に冠たる地位に高めようとする。

作者不明「スフォルツァ祭壇画」ブレラ美術館

右側のベアトリーチェの横にいる襁褓(むつき)姿の幼子は、長男マッシミリアーノ。ではイル・モーロの横で手を合わせる少年は誰か?チェチーリアとの間に生まれたチェーザレだ。正妻ベアトリーチェは、一家の祭壇画に愛人の子を描き込むことに激怒し頑強に反対したことだろう。それでもイル・モーロは、婚外子チェーザレを自分の家族の一員として描かせた。そんなイル・モーロの一面は、レオナルドには好ましく映ったことだろう。レオナルドもやはり婚外子だったから。

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