「レオナルド・ダ・ヴィンチとミラノ公イル・モーロ」2「イル・モーロ」①権力簒奪

 人間とは社会的諸関係の総体であり、ある人間を理解するには、彼の社会的諸関係とのかかわり方を知る必要がある。だから、レオナルド理解には彼が17年間仕えたイル・モーロ(ルドヴィコ・スフォルツァ)との関わり方を知ることは不可欠だし、そのために悪名高きイル・モーロという男の人間像を見る必要がある。

 1450年、ヴィスコンティ家の女婿フランチェスコ・スフォルツァがミラノ公位を継ぎ、ここにヴィスコンティ家に代わりスフォルツァ家の支配するミラノ公国が誕生する。フランチェスコのミラノ統治は16年続く。1466年のフランチェスコの没後、ミラノ公国はその長男ガレアッツォ・マリアによって継承(イル・モーロは四男)されるが、これがとんでもない人物。恐ろしく肉欲的で、虚栄心が強く、しかも残酷だった。その例はいくらでも挙げられる。

 例えば、あるとき、日頃寵愛していた家臣を処罰して、戸棚に閉じ込め、両手両足を釘づけにした。瀕死の男がうめき声をあげるのを聞くのが楽しいといって、ガレアッツォ・マリアは、わざわざその部屋で食事をした。また、自分の寵愛している女に向かって親しげに口をきいたというだけで、その家臣の手を斬り落としたり、みずから拷問を加えて殺した男を地下の納骨所に運び、その死体と一緒に過ごした。

 このようなガレアッツォ・マリアの異常性を「ヴィスコンティ精神病」と呼ぶ者もいる。ヴィスコンティ家から嫁いだフランチェスコ・スフォルツァの妻ビアンカ・マリアから受け継いだものだ。当然、レオナルドが仕えたイル・モーロにも流れている。さらに、この「ヴィスコンティ精神病」はやがてガレアッツォ・マリアの娘(庶子)カテリーナ・スフォルツァを通じてメディチ家の子孫にも表れることになる(初代トスカーナ大公コジモ1世の残虐性など)。ヴィスコンティ家の残虐性というと、その紋章である「ビショーネ」(人を飲み込む蛇)が浮かぶ。アルファロメオはロゴとしてその紋章を組み入れているが。

 1476年12月26日、この異常なミラノ公ガレアッツォ・マリアはミラノのサント・ステファノ聖堂でミサに列席中、家臣たちの手にかかって暗殺された。わずか32年の生涯だった。そして公国を受け継いだのは、その遺児ジャン・ガレアッツォ・マリア。この時わずか7歳。母の前公妃ボナ・ディ・サヴォイアが摂政として後見人を務める。しかし、実際に国務にあたったのは、スフォルツァ家二代にわたって公国の行政運営に手腕を発揮した宰相チッコ・シモネッタ。彼は、ジャン・ガレアッツォ・マリアの叔父イル・モーロに公位簒奪の野心のあることを早くから察知。イル・モーロを排除しようと努めたが、相手の役者が一枚上だった。イル・モーロは、ミラノ宮廷に多くいる味方を利用し、その方面から手をまわして前公妃ボナをうごかし、その調停でいったんは宰相チッコと和解。その後、突如クーデタを起こしてついに彼を断頭台に送ることに成功。さらに、前公妃ボナも謀略によって追放。そして1480年、自ら摂政となって公国の全権を掌握するに至る。さらに1494年には、ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・マリアを抹殺して正式にミラノ公となる。これがレオナルドが仕えたイル・モーロの権力奪取の経緯である。

 摂政時代(14年間)のイル・モーロは、表面的には幼い当主の慈悲深くて寛大な後見人として振る舞う。愛する甥にはパヴィアの宮廷で贅沢と放蕩の生活をさせる一方で、ミラノ公国の政治には一切タッチさせないようにした。だから、イル・モーロに仕える宮廷詩人の第一の役目は、若いミラノ公に代わって政務を執ってくれる叔父に心から感謝して、ゆめゆめ忘恩の思いを抱かないようにと言い聞かせて監視することだった。例えば宮廷詩人ベルナルド・ベッリンチョーニの長詩「幻視」の一節。ここでは、ベッリンチョーニが女神アテネの導きで天界に昇り、ミラノ公の亡父ガレアッツォ・マリアとじかに会って、彼が話したことを現世に帰って報告するという体裁をとっている。ロドヴィーゴはもちろんイル・モーロのこと。

「神様は、わしと一心同体だった弟をこの国に授けてくれたので、

 今やわしはうれし涙で頬を濡らしている。

 だから、息子はこの男を父親や腹心の友として、自分の鑑とせよ。

 ・・・ロドヴィーゴを自分の導きの星とするように、息子に伝えよ。

 わしの息子の利益のために言いたいことは山ほどあるが、

 もうこれ以上は言わないでおこう。なぜなら、ロドヴィーゴが

 彼の愛する父親代わりとなって、自分の命を息子に捧げてくれていることを、

 わしはよく知っているからだ。                     」

 この詩には、ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・マリアに対する押しつけがましい親切心と言外の脅しが潜んでいる。レオナルドがイル・モーロの宮廷で与えられた役割も、ベッリンチョーニと何ら変わらない。そして、レオナルドがイル・モーロに仕えた17年間のうち、12年間はイル・モーロの摂政時代だった。

ジュゼッペ・ディオッティ「ダ・ヴィンチがルドヴィコの宮廷で最後の晩餐の依頼を受ける図」

ボニファチオ・ベンボ「ビアンカ・マリーア・ヴィスコンティ」ブレラ美術館

 フランチェスコ・スフォルツァの妃。「ヴィスコンティ精神病」は彼女によってスフォルツァ家にもたらされたようだ。

ポッライウォーロ「ガレアッツォ・マリア・スフォルツァ」ウフィツィ美術館

「ボナ・ディ・サヴォイアと聖人」スフォルツェスコ城

イル・モーロの権力獲得

「ヴィスコンティ家の紋章」ミラノ中央駅 「ビショーネ」と呼ばれる人を飲み込む蛇

「アルファロメオ・ロゴ」1982年~2015年 

 ミラノ発祥の自動車メーカー、アルファロメオではこの蛇とミラノの市章である白地に赤の十字「聖ゲオルギウス十字」を組み合わせたシンボルマークを使用

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