「日本の夏」13 「五月雨」③「雨夜の品定め)」

 梅雨の表し方は、「五月雨」(さみだれ)というよりも、「長雨」(ながめ)の方が古い。

「長雨晴れ間なきころ、内裏の御物忌み(ものいみ)さしつづきて、いとど長居さぶらひたまふ・・・」                    (『源氏物語』「第二帖 帚木」)

(梅雨のころ、帝の御謹慎日が幾日かあって、近臣は家へも帰らずに皆宿直する、こんな日が続いて、源氏の御所住まいが長くなった。・・・ )

「長雨例の年よりもいたくして、晴るる方なくつれづれなれば、御方々絵物語などのすさびにて、明かし暮らしたまふ。」           (『源氏物語』「第二十五帖 蛍」)

(長雨が例年よりもひどく降って、晴れる間もなく所在ないので、御方々は、絵や物語などを遊び事にして、毎日お暮らしになっていらっしゃる。)

 『源氏物語』には、同じ梅雨を「五月雨」とする表現も登場している。

「このごろの残ることなく思し乱るる世のあはれのくさはひには思ひ出でたまふには、忍びがたくて、五月雨の空めづらしく晴れたる雲間に渡りたまふ。」(『第十一帖 花散里(はなちるさと)』)

(物哀れな心持ちになっているこのごろの源氏は、急にその人(花散里)を訪れてやりたくなった心はおさえきれないほどのものだったから、五月雨の珍しい晴れ間に行った。)

 今も昔も、梅雨の季節(「長雨」、「五月雨」)は、心が晴れず物思いにふけることがおおくなるのは変わらない。

     「さみだれに物思ひをれば時鳥 夜ぶかく鳴きていづち行らん」

                              (『古今集』 紀友則)

(五月雨の降る夜に物思いしていたところ、夜が更けてからほととぎすが鳴いて飛びすぎたがどちらの方角に向かったのだろう)

今と違って息も詰まるような重々しいものだった当時の夜の時間帯。そんな時に聞こえたホトトギスの声。「死出の田長」という異名をもつホトトギスは、死出の山の彼方の冥界から来る鳥とされた。冥界から届くようなホトトギスの声が五月雨、深い夜とあいまってもの思いの憂いを深くさせる。

    「あらざらむこの世の外の思ひ出に 今ひとたびの逢ふこともがな」

                            (『後拾遺集』 和泉式部)

(もうすぐ私は死んでしまうでしょう。あの世へ持っていく思い出として、今もう一度だけお会いしたいものです。)

 こんな情熱的な歌を死の床で詠んだ恋多き女流歌人・和泉式部になると五月雨もこんなふうに詠んだ。

   「おほかたにさみだるるとや思ふらむ 君恋ひわたる今日のながめを」

                           (『和泉式部日記』和泉式部)

(あなたはこの雨を普通と変わらない五月雨だと思っているのでしょうか。あなたを想う私の恋の涙であるこの雨を。)

 ところで『源氏物語 第二帖 帚木』の有名な「雨夜の品定め」。五月雨の降り続くある夜が舞台。源氏と3人の男たち(いずれも源氏よりも女性体験が豊か)によって繰り広げられる女性評論(テーマは「理想の女性とは何か」)。パーフェクトな女性などめったにいず、中品(ちゅうぼん)(中流階級)の女性に、個性的ですぐれた者が少なくない(とりわけさびしく荒れ果ててツル草に覆われたような予想外の所で、可憐な娘に出会ったりすると、不思議に心引かれるとも言っている。)、とか生涯の妻を選ぶ基準は、貞淑であることと嫉妬をしない(たとえ夫が浮気しても)ことの二つ、容姿とか階級などは関係ない、こういう女性こそ一生の伴侶とすべきである、とか女性が聞いたら激怒しそうな談義が延々と続く。これまで葵の上とか六条御息所とか藤壺らの上品の上の女性しか知らなかった光源氏は、この「雨夜の品定め」の教育を受けて、多彩な好き人としての才能を発揮して行くことになる。稀代のモテ男光源氏は「雨夜の品定め」によって誕生した。

広重「源氏物語五十四帖 帚木」

魚屋北渓「帚木 雨夜の品定め」

小松軒「和泉式部」

広重「名所江戸百景 駒形堂吾嬬橋」 雨空にホトトギスを印象的に飛ばした大胆な構図

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