「日本の夏」2 蛍 ①恋の火

 平安朝の和歌の世界における蛍のイメージを彷彿とさせる、女性俳人鈴木真砂女(すずきまさじょ)の一句。

 「死なうかと 囁かれしは 蛍の夜」

 「蛍のはかない光」が「恋の火」と重ねられ、それが「死」という言葉によっていっそう引き立てられている。波乱万丈の人生を送った真砂女。千葉県鴨川市の老舗旅館・吉田屋旅館(現鴨川グランドホテル)の三女に生まれ、22歳で恋愛結婚するも夫が賭博癖の末に蒸発し、実家に戻る。28歳の時に長姉が急死し、旅館の女将として家を守るために義兄(長姉の夫)と再婚し、旅館の女将として家業を切り盛りする。その頃俳句と出会い、久保田万太郎や安住敦に師事。そして30歳の時に旅館に宿泊した年下で妻帯者の海軍士官と不倫の恋に落ち、出征する彼を追って出奔するという事件を起こす。その後家に帰るも、夫婦関係は冷え切ってしまい50歳の頃に離婚。その後は銀座で小料理屋を営みながら、俳句を作り続けた。90歳を過ぎてなお、ときめく心を大切に恋する女心を数多く詠んだ。2003年96歳で永眠。

 日本の詩歌、特に和歌の特徴は、ものに寄せて人の心を表現するところにあるが、「蛍」という言葉はその放つ光の様子が、胸の中で燃える“思い”を連想させ、恋愛と重ねて使われることが多い。もっとも有名なのは、和泉式部の次の歌。

「物思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」

これは詞書に「男に忘られて侍りける頃、貴船に参りて、御手洗川に蛍の飛び侍けるを見てよめる」とあるので、恋の情念のためにさまよいでる魂が蛍と重ね合わされている。

 蛍が登場する文学作品の名場面と言えば『源氏物語 第二十五帖 蛍』第四段。ストーリーはこうだ。

頭中将と夕顔の間に生まれた玉鬘は、夕顔の不慮の死の後、乳母ととも乳母の夫の転勤先の九州へ流れる。美しく成長した玉鬘は、乱暴もので有名な土着の豪族から熱心な求愛を受けるが、これを拒んで京へ逃げる。行く末を祈願するために訪れた長谷寺参詣の途上で偶然再会した右近(かつて夕顔の侍女だった)の紹介で源氏の養女として引き取られる事となる。美しい玉鬘に言い寄る男たちの中に源氏の弟宮、蛍兵部卿宮がいた。熱心に玉鬘に恋文を送ってきてくる弟宮に、一計を案じた源氏は玉鬘に色よい返事を書かせた。喜び勇んで玉鬘の屋敷にやってきた弟宮。傍に近づくことができても、几帳に隔てられていて姿は見えない。源氏が隠れているとも知らず、几帳を隔てた玉鬘に向かって対座する。姿は見えないが、ゆかしい振る舞いや芳香に、弟宮は玉鬘をこの上なく上品で美しい女性と感じる。その時である。源氏は、薄物の几帳の垂たれを一枚だけ上へ上げたかと思うと集めて袋に隠し入れておいた蛍を一斉に解き放った。暗闇の中に突然飛び交う光の乱舞。あわてて扇で顔を隠す玉鬘。一瞬だけ目にした横顔は、息をのむほど妖しく美しい。弟宮は、源氏の思惑通りすっかりとりこになり、玉鬘への思慕の情をかき立てられる。燃えるような思いを玉鬘に告げる弟宮。

「鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに 人の消(け)つには消(け)ゆるものかは」

(鳴く声も聞こえない蛍の光でさえ、人が消そうとしても消えないものなのに、 私の燃えるような恋心をどうして消すことができましょうか、いやできません。「思ひ」の「ひ」という言葉に「火」と「(思)ひ」を掛けている)

これに対して、玉鬘は次の歌を返しさっさと奥に隠れてしまう。

「声はせで身をのみこがす蛍こそ 言ふよりまさる思ひなるらめ」

 (声を立てないで身を焦がすばかりの蛍の方こそ、声に出して言ったあなたよりも、ずっと思いが深いのでしょうね。)

 あなたよりも声に出さない蛍の方が思いが深いと玉鬘は冷たく切り返したのだ。

 ところで、この玉鬘の返歌。『後拾遺和歌集』の源重之の歌から発想されたようだ。

「音もせでおもひにもゆる蛍こそ なく虫よりもあはれなりけり」

(声もたてないで、ひそかに激しい「思ひ」という火に燃える蛍こそ、声に出して鳴く虫よりも、あわれが深いというものだ。)

小林清親「御茶の水の蛍」

岡田嘉夫「源氏絵巻 蛍」

富吉郎「宇治川」

小林清親「夜の蛍」

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