「感染症と人間の物語」12 ルネサンスと感染症(2)「メメント・モリ」①スティーブ・ジョブズ


 ホイジンガは名著『中世の秋』の中で書いている。

「15世紀という時代におけるほど人びとの心に死の思想が重くのしかぶさり,強烈な印象を与え続けた時代はなかった。メメント・モリの叫びが,生のあらゆる局面に,とぎれることなくひびきわたっていた。」

 「メメント・モリ」(ラテン語: memento mori)は、直訳すれば「死を想え」。「自分が必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句である。古代から使われたが、当時は「人はいつかは必ず死ぬ。その時を思い、 生きている今を大いに楽しめ」という意味で用いられたようだ。それが中世キリスト教社会で異なる意味を持つようになる。天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、現世での楽しみ・贅沢・手柄が空虚でむなしいものであることを強調するようになる。きっかけは14世紀中頃のヨーロッパでのペスト(黒死病)の爆発的流行。有効な治療法もなく、現世のいかなる地位・武力・富も意味を成さず、あらゆる階級の人々が為す術もなく死んでいったためだ。

そしてペスト流行が去ったあとの15世紀頃には、「メメント・モリ」の思想のもと、盛んに「死の舞踏」(フランス語:Danse Macabre 英語:Dance of death)と呼ばれる寓意画(死の象徴である骸骨が、年齢や身分、職業を問わずあらゆる人々を踊りながら墓場に導く様子を描いたもの)が描かれる。そのきっかけは14世紀にフランスで書かれた同名の詩、または生き残った人たちが半狂乱になって集団ヒステリーを起こし、広場で狂乱状態で踊ったことなどとされている。最初期の死の舞踏絵画としては、パリのイノサン墓地の壁に描かれたフレスコ画をあげる研究者が多い(1424年から1425年)。

「死の舞踏」と同じ時期に「死の勝利」のモチーフも現れる。骸骨が人々を踊りながら墓場に導く死の舞踏に対して、死の勝利では、死の象徴である骸骨があらゆる階級の人々を襲って蹂躙し、より恐怖が高まる様式で描かれた。有名なのは、ピーター・ブリューゲル『死の勝利』(プラド美術館)

 ところで、「メメント・モリ」は現代社会では縁のない警句になってしまったのだろうか。そうではないことを、何より明確に語ったのがアップル創業者の故スティーブ・ジョブズ。彼は2005年に米スタンフォード大学の卒業式で行ったスピーチの中で、癌を宣告され、死と向き合った彼自身の経験に基づいて「メメント・モリ」についてこう語った。いつまで色あせない感動的なスピーチだ。


 私は17歳の時にこんな言葉に出会いました。

「毎日を人生最後の日だと思って生きよう。いつか本当にそうなる日が来る」

 それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と。

 その答えが何日も「NO」のままなら、ちょっと生き方を見直せということです。  

「自分はまもなく死ぬんだ」という認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。なぜなら、周囲からの期待、プライド、失敗や恥をかくことへの恐怖など、これらはほとんどすべて、死の前では何の意味もなさなくなるからです。そこに残るのは、本当に必要なものだけです。

 死を覚悟して生きていれば、「何かを失う」という心配をせずに済みます。我々はみんな最初から裸です。素直に自分の心に従えば良いのです。

・・・

 しかし、死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいないし、今後もそうあるべきです。

 死はたぶん、生命の最高の発明です。死は古き者を消し去り、新しき者への道をつくる。ここでの「新しき者」は君たちのことです。しかしそう遠くないうちに君たちも「古き者」となり消えてゆきます。 深刻な話で申し訳ないですが、真実です。  

 あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。

 他人の雑音で、あなた方の内なる声がかき消されないように。そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはずです。他のことは二の次で構わないのです。

ピーター・ブリューゲル「死の勝利」プラド美術館

ジュール・エリー・ドローネー「ローマのペスト」ブレスト美術館 

 1476年、ローマはペストの猛威に襲われた。遺体が積み重なる街中に死の天使が現れ、次なる犠牲者がいる扉口を指し示ししている。背景には、現在はカピトリーニ美術館にあるマルクス・アウレリウスの騎馬像が描かれている。

ハンス・ホルバイン「死の舞踏 王」

ハンス・ホルバイン「死の舞踏 王妃」

ハンス・ホルバイン「死の舞踏 行商人」

ハンス・ホルバイン「死の舞踏 修道院長」

スティーブ・ジョブズ 2005年に米スタンフォード大学の卒業式でのスピーチ

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