「エリザベス1世の統治術」4 エリザベス女王誕生④助言と決定

 エリザベスはセシルの任命を終えると、大広間に集まった人々に演説したが、その中で臣下による助言、諮問についてこう述べている。

「わたくしは、何事につけ、よき助言と諮問に従い行動するつもりです。・・・あなたがたの働きを報奨し十分に報いるつもりです。わたくしがみなさんに望むのはただ一つ、忠誠心です。わたくしとこの国の運命と安全は皆さまの手に握られているのです。忠誠心をもって仕えてください。それに、助言と諮問については、皆さまのことばに耳を傾けるつもりです。誰をどの職に、どの地位につけるかは相談し、熟慮し、じきに公表します。わたくしはみなさまに助言を仰ぎ、それに従うつもりです。役職に就く人の重荷をやわらげるために、他の人もわたくしに仕えてください。わたくしが任命しなかった方々は、能力がないためであると考えないでください。あまり大勢だと、無秩序と混乱に陥ってしまい、よい政治ができないと考えるからです。わたくしの善意を疑わないでください。それぞれが、善良で愛すべき国民のためにご自分を用いてください。」

 ロンドン入りしたエリザベスは、すぐさま枢密院顧問官の選定にあたる。今の内閣に相当する枢密院は「君主と国家の目であり耳であり舌である」と言われるほど重要な機関で、国家と国民に関するあらゆる情報を収集し、女王を補佐して政策を練り執行する。メアリー女王は、エドワード国王時代の顧問官を役立たずだろうと彼女に忠誠を誓うと、次々に顧問官に引っ張り込んだため44人にまで膨れ上がり、面倒の絶えない組織になった。枢密顧問官たちは互いに不信感をいだき、なお悪いことに、メアリー自身が大勢の顧問官を嫌い、疑うようになってしまう。まさにエリザベスが危惧する「無秩序と混乱に陥って」しまったのだ。

エリザベスは、旧顧問官44人のうち10人だけ慰留。その中には、スコットランドとの境界地帯の守備のために必要な逸材ダービー伯爵とシュルーズベリー伯爵(二人はめったに宮廷に姿を見せないから、中央政府に対する影響は少ない)、経験豊かな実務派の政治家ベンブルク伯爵とアランデル伯爵などがいた。エリザベスがメアリー女王の枢密院顧問官を全員罷免しなかったのは、政権移譲を速やかに進めるためだった。そして新たに枢密顧問官に任命されたのは9人。急進的なプロテスタントはベッドフォード伯爵とフランシス・ノリス卿だけ。エリザベスは、混乱を避け、秩序回復を図るために緩やかな宗教政策をとる決意だった。エリザベスは、顧問官選出にあたって広く意見を聞き、そのうえで断固たる行動に出た。エリザベスの枢密院は、その規模、編成、構成員ともに、その後の45年間の治世中、驚くほどわずかしか変化しなかった。枢密院は同類の集まりではなかったが適度な調和を保ち、またその最大の特徴は、女王と少なくとももっとも内輪の顧問官たちが心から互いに信頼し合っていたということである。こうして、枢密院は強大な力を持った。そして顧問官は共同体意識を持つようになった。それは、顧問官の尊大な態度に怒った大使に「王が大勢いる」と言わしめるほどだった。

 しかし、ここで注意しなくてはいけないのは、エリザベスは「よき助言と諮問に従い行動するつもりです」とは言ったが、「顧問官の指図通りにする」とは言っていないこと。ウィリアム・セシルは次男ロバート(テューダー朝最後の女王エリザベス1世とステュアート朝最初の国王ジェームズ1世に重臣として仕え、エリザベス朝後期からステュアート朝初期のイングランドの国政を主導した)に手紙(1595年3月13日付け)の中で、女王と顧問官の関係の在り方について次のように記している。

「女王に助言することがわたしに許される場合は、反対されても自分の考えを変える必要はない。それは神を冒瀆することになるからだ。わたしはまず第一に神に至誠を尽くさなければならない。しかし、臣下として、わたしは女王の命令に従う義務がある。女王の命令に逆らうのは賢明ではない。女王が神の代理人であることを考えれば、女王の命令に従うのは、神のご意志であると思うからだ。このようにして、わたしは諮問官としての役を果たしてきた。これからも、女王の命令に従い、女王の意向を実行し、責務に専念するであろう。お前も知っての通り、わたしは神のご意志と政治の狭間で生きてきた。この地上においては、何よりも女王の政策に従い、信仰においては、何よりも全能の神、天国の王を仰ぎ見る。」

映画「エリザベス」(1998年) ロバートに妻子がいることを告げられ愕然とするエリザベス

映画「エリザベス」(1998年) ロバートとの結婚反対をエリザベスに告げるセシル

エリザベス1世の枢密院  即位当時より人数は減少していった

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