「ジャガイモと世界史」④「ポム・ド・テール」

 ジャガイモに最初に接した西洋人スペイン人は、中南米の現地人がジャガイモを「パパ(papa)」と呼んでいたことから、そのままスペインに伝えた。しかし恐れ多くもローマ法王も「パパ(papá)」。そこで、近い発音の「パタタ(patata)」となったと言われる。イタリア語も同様に「パタタ(patata)」。英語の「ポテイトウ(potato)」も同じ流れ。ドイツ語ではジャガイモは「カルトッフェル(kartoffel)」。トリュフを意味するイタリア語「タルトゥーフォ(tartufo)」に由来。南米の地ではじめてジャガイモに接したスペイン人は、その形状からトリュフの一種と勘違いしたように、その形状の類似性から。ロシア語も「カルトフェル(картофель)」。ジャガイモの呼び方として、その魅力を最も表現しているのはフランス語の「ポム・ド・テール(pomme de terre)=「大地のリンゴ」」だと思う。英語のことわざに「An apple a day keeps the doctor away」(1日1個のリンゴは医者を遠ざける)とあるように、リンゴの健康効果は広く知られているが、ジャガイモは「地中で育つリンゴ」だという。では、ジャガイモはどれ程優れた作物なのか?

 ヨーロッパ最北端と言えばノルウェーの「ノールカップ岬」。北緯71度10分21秒。北極点まではわずか2000km。ジャガイモ畑は、この周辺でも見ることができる。アンデスの高地を原産とするジャガイモは、寒冷な気候であったり土壌の質が悪い土地でも栽培に耐えられる。それまで畑としても、また牧草地としてさえも活用されなかった土地でも、栽培が可能なのである。またジャガイモは種イモを植えてから3か月もすれば収穫できるようになるし、収穫量も非常に多い。しかも単にムギ類に代わってエネルギーを供給するだけの食料ではなく、人々の健康を維持する上でも優れた性質を備えている。ビタミンCが豊富に含まれているのだ。ジャガイモ100g中35㎎.これは、柑橘類などに含まれるビタミンCの量に比べれば劣るものの、リンゴ、ブドウ、ナシ、モモなどに比べるとはるかに多い。そして、野菜や果物に含まれるビタミンCは熱に弱いが、ジャガイモに含まれるビタミンCは熱に強く、加熱処理しても少ししか失われない。人間はビタミンCが欠乏すると、死に至る病である壊血病にかかる。新鮮な野菜や果物が不足するヨーロッパ中部から北部にかけての冬、ジャガイモ(保存しておいてもビタミンC はあまり減少しない)は人々を恐ろしい壊血病から守り、健康を維持してくれる大切な食料でもあったのだ。

 ところで、ジャガイモがヨーロッパにもたらされ各地に広がろうとする17~18世紀、ヨーロッパは戦争に次ぐ戦争の時代であった(天下泰平の江戸時代とはまるで異なる!)。主なものだけでも「三十年戦争」(1618~48)、「英蘭戦争」(第一次:1652~54、第二次:1665~67、第三次:1672~74、第四次:1780~84)、「スペイン継承戦争」(1701~14)、「オーストリア継承戦争」(1740~48)、「七年戦争」(1756~63)、「露土戦争」(1768~74)。17世紀、ヨーロッパで戦争がなかったのはわずか4年だという。農民たちは、ひとたび戦争の場に巻き込まれると、丹精を込めたムギ畑は無残に踏み荒らされてしまう。収穫期にぶつかると、刈り取っておいたムギは焼かれたり、侵略者に持ち去られてしまう。その点、地中で増殖するジャガイモは、地上で実りをもたらすムギ類とは事情が異なる。戦闘によって畑が踏み荒らされても、根こそぎイモを掘り起こされないかぎり、何がしかのイモは地中に残る。だから、不運にも戦乱に巻き込まれたとしても、ムギ類の場合のように収穫がゼロになってしまう可能性は極めて低かった。ジャガイモが地下で増殖することの利点はほかにもあった。強風や霜、雹などの過酷な気象条件に見舞われても、被害の程度が軽く済むという点である。

 以上のような特性を持つジャガイモが、偏見さえ克服できれば急速に栽培を拡大させていくのは当然のことだった。

ルートヴィヒ・クナウス 「ジャガイモの収穫」1889

ゴッホ「ジャガイモを植える農夫」1884 クレラー=ミュラー美術館

ゴッホ「ジャガイモを植える農夫の男女」チューリッヒ美術館


ゴッホ「ジャガイモの皮をむく女」個人蔵

アルベール・アンカー「ジャガイモをむく少女」1887

「ノールカップ岬」  ヨーロッパ最北端

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