「ジャガイモと世界史」①コロンブス

 かつて「コロンブスは新大陸の発見者である」と表現された。しかしアメリカ大陸には1万年以上前から先住民が住んでいた。そこで「コロンブスは旧大陸から新大陸への最初の到達者である」という表現が主流になる。しかし、現在では「ヴァイキング」の名で知られている古代スカンジナビア人数十人が、11世紀にニューファンドランド島(北米で最も東に位置)に到着して数年間を過ごした越冬基地の遺跡が見つかっている。だから、新大陸への最初の到達者の名声はコロンブスのものではなく、古代スカンジナビア人の頭上にこそ輝くべきものである。それにもかかわらず、コロンブスの名前とその航海が今なお様々な伝記に取り上げられ、輝き続けているのはなぜか?

 それは世界史に及ぼした影響力の大きさゆえだろう。コロンブスの航海が契機となって、ヨーロッパ大陸と新大陸の間で交流が盛んになり、新大陸から多くの植物が様々な形でヨーロッパに渡り、それらの植物がもたらした恵みが基礎となって、新たな文明が築かれていったからだろう。

 「世界三大穀物」と言えば、小麦、米、トウモロコシ。それぞれの生産高(2010年)は、6億5100万トン、6億7200万トン、8億4400万トンでトップはトウモロコシ。ただしトウモロコシの世界消費は、家畜の飼料用が64%で最も多く、ついでコーンスターチ製造などに用いられる工業用が32%を占め、直接の食用はわずか4%にすぎない(2007年度)。近年、最大の生産国であるアメリカにおいてさらにトウモロコシの生産量が急増したのは、トウモロコシを原料とする「バイオマスエタノール」(サトウキビやトウモロコシ、木材などのバイオマスを発酵させて製造するエタノール)の需要が急速に増大したためである。また「世界四大作物」と言うと、「世界三大穀物」にもうひとつ穀物以外の作物が加わる。ジャガイモである。このジャガイモについて語りたい。トウモロコシは、大西洋を初めて渡ったコロンブス自身が目にしているし、その翌年にはスペインに持ち帰ったことが記録に残されているが、ジャガイモはなかなか記録に姿を現さない。トウモロコシは、コロンブスが最初に到達した西インド諸島でも、中米でも、南米でも広く栽培されていたが、ジャガイモはアメリカ大陸の中でもアンデス高地だけに栽培が限定された、かなりローカルな作物だったからだ。ヨーロッパ人がジャガイモをはじめて目にしたのは、彼らがアンデスに足を踏み入れてから。それは現在のコロンビア・アンデスでのこと。初めて目にするジャガイモは、ヨーロッパ人の目にどのように映ったのだろうか。シエサ・デ・レオン(スペイン人コンキスタドール。1535年ころカルタヘナ(現コロンビア)、47年にはピサロの反乱[インカ帝国を征服したフランシスコ・ピサロの異母弟ゴンザーロ・ピサロ]を鎮圧する王室軍隊の一員としてペルーへ渡る。のち王室軍の指揮官ガスカより記録者(クロニスタ)に任命され,『ペルー年代記』を執筆)がこんな風に記述している。

「トウモロコシ以外の土地の食料としては、インディオの間で主食になっているものがふたつある。そのひとつは、パパ[ジャガイモ]というもので、松露[トリュフ]に似ている。ゆでると、肉がとても柔らかくなって、ゆで栗のようになる。殻や核がないのは松露の場合と同じで、これは、松露同様、地面の地下に育つからである。」

 このジャガイモ。誰がいつ頃ヨーロッパに伝えたかについて、確かな証拠は何も残っていない。インカ帝国を滅亡(1531年)させたフランシスコ・ピサロ軍に加わっていたスペイン人の手によってはじめて大西洋を渡り、ヨーロッパへ運ばれたとする説が有力ではあるが。いずれにせよ、やがてジャガイモが食卓に定着することによって、ヨーロッパの食料事情は一変することになる。しかし、ピサロやコルテスが略奪してきた金銀財宝や、その当時のヨーロッパの食卓が求めてやまなかったスパイス類よりも、ヨーロッパ社会にとって、ジャガイモがはるかに重要なものになるとは、当時のだれもが想像しえないことであった。このジャガイモと世界史、特にヨーロッパ史とのかかわりについて語りたい。


ディオスコロ・プエブラ「コロンブスの新大陸上陸」プラド美術館

フランシスコ・ピサロ

ワマン・ポマ インカ時代の踏み鋤によるジャガイモの植え付け

マチュピチュの段々畑  ここでジャガイモやトウモロコシが栽培された

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