「ヴェネツィア ″Una città unica al mondo″」 6 その魅力⑥

 ゲーテの自己形成、思想づくりの一端に触れた気がしたのは『ヴェネツィア紀行』のこの一節を読んだとき。初めて訪れた長年の憧れの地ヴェネツィアの街とどう交わろうとしたかが書かれている。 「食事のあと、わたくしは、急いでまず全体の印象を確かめることにして、案内者なしで、方位だけに注意しながら、町の迷路の中に飛び込んだ。・・・夕方、わたくしはふたたび案内者なしで、町のいちばん遠い地区まで迷い込んでみた。・・・わたくしは、どこでも、誰にも道を尋ねずに、ふたたび方位だけで進路を正しながら、この迷路にはいったり出たりしてみた。最終的には迷路から抜け出ることができるのだが、それにしても、信じがたいほどの入り組み方である。それゆえ、完全に感覚で納得するわたくしのやり方が最善である。」

 現代に置き換えるなら、ガイドブックもスマホも持たないで「迷路の中に飛び込む」ということだろう。ゲーテがローマに滞在したのは1786年9月28日から10月16日まで。決して長くはない。しかし、そこを去るにあたってこう書いている。

「私はヴェネチアにごく短い期間しか滞在しなかったが、それでもこの地の生活を十分にわが物とし、たとい不完全ではあるにしても、しかしまったく明瞭でかつ真実な概念を携えて去るのである。・・・私は土産をたくさん背負いこんで、豊かで奇妙な類ない画像を心にとめてこの地を去ってゆく。」

 日本におけるヴェネツィア研究の第一人者陣内秀信も『迷宮都市ヴェネツィアを歩く』の冒頭で「「水の都」ヴェネツィアはなぜ、これほどにわれわれの心をひきつけるのだろうか。」と問い、こう答えている。

「都市空間そのものに、われわれの感覚に語りかけ、身体を興奮させてくれる不思議な魅力がある。その水辺を歩いて、時にたたずむだけで、もう自分がドラマの主役になったような気分が味わえるし、運河と歩道が複雑に織りなす迷宮を徘徊することだけでも楽しい町なのだ。まさに「水上の迷宮都市」と呼ぶにふさわしい存在である。」

 そして「迷宮」(ラビリンス)というのは「何かが待ち受けているという期待感と、何が起こるかわからないという不安感がないまぜになっている」「都市の空間が開いたり閉じたりしながら、われわれの感覚や身体に働きかける」ので、「迷宮を歩く際には、頭で考えていてはだめだ。足が自然に先へ進むようにならないと、スムーズには歩けない。動物的な身体感覚が求められる。」と述べている。

 詩人レニエにいたっては「この画趣のある多様さの中で道に迷うのは、何と言う喜びだろう」(随想集『屋上テラス』)とまで書いている。道に迷うことも面白さ、と感じられる感性でヴェネツィアの迷路に入り込めば、ルーティン・ワークを基本とする日常生活の中では味わえない精神の異化を体験できるだろう。

「道順をあらかじめ定めないで、路地(カッリ)や小広場(カンポ)を歩き回るのが、おそらくヴェネツィアで体験できる最大の喜びだろう。幸いなるかな、地理をよく知らぬもの。幸いなるかな、何を為すのか、いずこへ行くかを知らぬ者。あらゆる驚きの国、あらゆる異常な発見の国は彼らのものである。細い路地を通り抜け、軒下路(ソット・ポルティコ)の黒い喉のなかにはいり込む、中庭にでる。袋小路かと見えた中庭に、別の細い路地へ抜ける隙間が見つかる。窒息しそうなそんな迷路から、風通しが良くて、光が溢れ、人で一杯の小広場か、さもなくば大貴族の宏壮な館の戸口か、さもなくば、陽光と風とに開かれた土手路(フォンダメンタ)か、さもなくば大小の船の走る広い運河(リオ)に出る。それは、予期せぬもの、意外なもの、ほとんど有りえぬもののなかへ歩いてゆくことである。それは、たちまち、子どもの頃、驚き、恍惚となったあの空想の国への小旅行を思い出させるのだ。」(ディエゴ・ヴァレーリ『感傷のヴェネツィア案内』)  

 ある意味、人生そのものが巨大な迷路めぐり。何が待ち受けているか。五感を研ぎ澄ませ、開放させながらその出会いを楽しみたいものだ。

(水上の迷宮都市ヴェネツィア)リアルト橋付近

(ヴェネチアの街路)

 (ヴェネチアの街路)

(ヴェネチアの街路)

(ヴェネチアの街路)

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