「ヴェネツィア ″Una città unica al mondo″」 1 その魅力①
ヴェネツィアを一言で表現するなら″Una città unica al mondo″。「世界で唯一無二の街」。「海洋国家ヴェネツィアの誕生と発展」の講演を来月行うので、久しぶりに旅の記録や関連書籍を読み返している。これまでヴェネツィアを訪れたのは4回。1994年、1998年、2003年、2006年。いずれも季節は夏のヴァカンスシーズン。それまで映画でしか知らなかったイタリア人のビーチ・リゾートでのヴァカンスの過ごし方に驚かされたのはヴェネチアのリド島だった。リド島は、ヴェネツィアの潟(ラグーナ)とアドリア海を隔てている長さは約12kmの細長い島。島々の中では数少ない車両が通行できる島で、本土からフェリーで渡ることができる。 映画「ベニスに死す」(原作トーマス・マン 監督ルキノ・ヴィスコンティ 療養のためベネチアにやってきたドイツの老作曲家アシェンバッハの美少年タジオへの思い、苦悩を格調高く描いた文芸ドラマ。『山猫』とならぶヴィスコンティの代表作)の舞台にもなった。もちろん″Una città unica al mondo″は本島のこと。ヴェネツィアの何がUnico(「ウニコ」=英語の「ユニーク」。唯一。唯一無二)なのか?
今やヴェネツィア関連の書籍の古典と言ってもいい矢島翠『ヴェネツィア暮し』にこんな一節がある。
「針一本落ちても聞こえそうな―――という静けさを、都会の中で味わうのは、何年ぶりのことだろうか。ヴェネツィア暮しを始めた日々、その静けさは、かぎりなく甘美に思われた。・・・車のないまちは、これほどにもすばらしい場所だったのだろうか」
そうヴェネツィアには自動車がない。ヴェネツィアで「車」と名のつくものは、乳母車か、子供用の自転車か、運河の岸から積み荷を運ぶための二輪の手押し車だけ。小島の集合体といってもいいヴェネツィアは島と島の移動に橋を渡らなければならない。そして運河に架かる橋の数はなんと400以上。しかもそれらの橋は下を舟が通れるようにアーチ状の設計で、表面は歩行者のための階段になっている。だから、そもそも車の乗り入れなど不可能な街なのだ。
「アクセルの音が消えたまちの静けさは、何となつかしく、温かいことだろう。それは防音壁や厚いガラスで遮断された、死の臭いのする、人工的な沈黙ではない。人間も建物も、犬や猫や植物や魚も、ものみな、自分の身丈にあった憩いのなかで夢みているのが感じられる、おだやかな夜気なのである。夜がふければ、おやすみ、といって自分もその憩いの仲間入りをすることが、ごく自然に思われるのだった。」
自分のような酒好きの人間にとって車のないこの町はありがたい。「バーカロ」(居酒屋。カウンターにずらりと並んだ「チケッティ」cichetti をつまみながらグラスワインを立ち飲みできる)で飲んで千鳥足で歩いていても車にはねられる心配がないからだ。ただし、運河の水際には手すりやフェンスがないから運河に落ちないように気を付けなくちゃあいけないが。まあ落ちたら落ちたで自業自得。過剰な人命尊重主義からすぐに柵を着けたがる日本と違って、イタリアでは自衛の精神が徹底しているから、子どもや酔っぱらいが運河に落ちたという話はほとんど聞かれないようだ。
ヴェネツィアの魅力を探ってみたい。江戸もそうだが、それを通して近代化の過程で人間が生きて行くうえで不可欠などんな要素、文化が失われたのか、どうやってそれを回復していけばいいのかのヒントを探ってみたい。ヴェネツィアという対象を「自分のものにする」のはそんなに簡単なことではないのは、須賀敦子の次の文章に表現されている。
「最初の訪問で私がヴェネツィアを理解したかと言えば、うそになる。他にも類似した経験がないことはないが、とくにヴェネツィアに限っていうと、私はこの浮き巣のような都市の魅力に、すぐに反応したとは思えない。このせまい小さな島の町は、判断の基準がそれまで訪れたことのあるどんな都市とも激しく違っているので、正直いって、なにがどのように美しいのかを自分に説明できるまでに、ながい時間がかかったように思う」)『ミラノ 霧の風景』「舞台のうえのヴェネツィア」)
(ヴェネツィア周辺とラグーナ)
(運河沿いにある夜のバーカロ)
(昼のバーカロ Osteria La Bottega ai Promessi Sposi)
(夜のヴェネツィア)
(夜のヴェネツィア)
0コメント