キリスト教の教え5 イエスの誕生①

 新約聖書のキリスト降誕の物語は、「ルカによる福音書」(1章26~38節)の伝える処女マリアの受胎告知物語によって広く知られる。物語は、大天使ガブリエルが、マリアのもとに神から遣わされた場面から始まる。

「天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。天使は、彼女のところに来て言った。『おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。』マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。」

 天使は、考え込むマリアに驚くべき告知をする。

「『マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。』」

 それはマリアにとって、理解しがたい、恐ろしく、衝撃的なもの、彼女に起きてはならないことの告知だった。なぜなら、当時マリアはヨセフと婚約中だったが、その期間は性的な関係を持つことは許されていない。関係を持てば、相手が婚約者であっても十戒の第六の掟「汝、姦淫するなかれ」を破ったことになる。マリアはもちろん掟を破っていないが、婚約中に身ごもれば、世間の目から見れば破ったと見なされる状況に陥ってしまう。マリアには生まれてくる子が「偉大な人」となるとか、「いと高き方」になるとか、ほとんど耳に入らなかっただろう。そんなことより、男と関係を持っていない自分が身ごもることが全く理解できなかった。だからこう天使に言う。

「『どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。』」

 それに対して天使はこう答える。

「『聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。』」

 マリアはどう答えたか。この対応こそ、マリアがイエスの母に選ばれた理由だと思う。

「『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。』」

 ここには、自分の様な信仰を持たない人間の理解をはるかに超えた深い信仰が表現されているように感じる。そもそも信仰には二つの要素が含まれているようだ。一つは、神が起きるということを信じる、聖書に起きたと書かれていることを信じる、神が示した事柄の真実性を信じるという意味。さらにそれに加えて、神を信頼する、神に自分の運命を委ねるという意味も含まれる。マリアの天使への「お言葉どおり、この身に成りますように。」という応えは、まさにこの意味を表わしている。神が起こすと言っていることをそれでいいですと言って受け入れたのだ。それがどれほど重い決断だったか。マリアは思っただろう。マリアが身ごもり、それが聖霊によるなど婚約者のヨセフが理解するだろうか。ヨセフは裁きの場にマリアをつき出すことも考えられる。生まれてくる子がヨセフとの子でないと判明した場合、マリアは姦淫の罪に問われ、石打ちの極刑(死刑)を免れない。頭の中は不安と恐怖に満ちあふれてていたことだろう。それでもマリアは「お言葉どおり、この身に成りますように。」と応えた。これほど深い信仰があるだろうか。こういう乙女だったからこそ神はマリアを選んだのだろう。

 この受胎告知の場面を描いた絵画は無数と言っていいほど存在する。レオナルド・ダ・ヴィンチも描いている。大原美術館にも素晴らしいエル・グレコの絵がある。天使とマリアの位置関係、マリアのしぐさ、表情も実に多様だ。中世、ルネサンス、バロックと時期によっても変化している。天使が登場しない受胎告知画もある(アントネッロ・ダ・メッシーナ)。その中で一枚だけ選ぶとするなら、フラ・アンジェリコ「受胎告知」(フィレンツェ サン・マルコ美術館)。イエスの胎として選ばれたマリアの信仰の篤さを最もよく表現しているように思っているからだ。

 (レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」ウフィツィ美術館)

(ボッティチェッリ「受胎告知」ウフィツィ美術館)

(フラ・アンジェリコ「受胎告知」フィレンツェ サンマルコ美術館)

(アントネッロ・ダ・メッシーナ「受胎告知」パレルモ 州立シチリア美術館)

(エル・グレコ「受胎告知」大原美術館)

(カール・ハインリッヒ・ブロッホ「受胎告知」デンマーク フレデリクスボー城)

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