ギリシア神話の支配者7 ゼウス②二番目の妻テミス

 ティタノマキアでゼウスたちオリュンポス神族が圧倒的に数で勝るティタン神族と互角に戦えた原因の一つに、ティタン神族を裏切ってオリュンポス神族に加勢した神々がいたことがあげられる。そのひとりが女神テミス。ゼウスの二番目の妻となった女神とされる。正義と掟の女神で、神々を召集する役目も担った。また、託宣の女神としての性格ももち,デルフォイの神託所をガイアから引継ぎ,アポロンに譲り渡すまでその主であったともいわれる。さらに悲劇詩人アイスキュロスは,プロメテウスの母としている(ちなみに、プロメテウスは「先見の明の持主」を意味するその名のとおり,非常な知恵者で,ティタンたちとオリュンポスの神々の戦いのおりには,いち早く後者の側の勝利を予見し,ティタン神族に属していたにもかかわらずゼウスの味方になり,必勝の策略を教え,その勝利に不可欠な貢献をした。)。

 ゼウスとテミスの間に生まれたのが三女神ホーライ(単数ではホーラHōraといい,英語hour〈時間〉の語源)。「エウノミア」(秩序)、「ディケ」(正義)、「エイレネ」(平和)。季節の規則正しい移り変わりと人間社会の秩序を司る。絵画で有名なのはボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」のホーラ。海の泡から生まれた裸身のヴィーナスは帆立貝に乗り、ニンフ(妖精。若い乙女の形をとるが女神である)のクロリスと抱擁したゼフュロス(西風)の吹く風に押し寄せられて渚に流れ着く。陸地でヴィーナスを待ち受け、彼女に赤いマントをかけようとするのが季節と時の女神(ニンフ)ホーラである。

 ゼウスとテミスの間からは運命の三女神モイライ(単数形モイラ)も生まれた(ニュクス〈夜〉の娘とも言われる)。「クロト」(紡ぐ女)が運命を紡ぎ出し、「ラケシス」(配給する女)は運命を割り当てて運命の糸の長さを決め、「アトロポス」(変わるところのない女)は運命の糸を裁断する。このように、人間個々人の運命は、モイラたちが割り当て、紡ぎ、断ち切り、その寿命が決められた。人間のそれぞれにどれくらいの長さの糸を分け与えるかは、モイライ次第で、ゼウスすらその決定を変えることはできない。 絵画で有名なのは、なんと言ってもゴヤ「運命の女神たち」。70歳を過ぎたゴヤが、自身の住居(ゴヤが宮廷画家を引退した後に移り住んだ「聾者の家」)の部屋の壁に描いた(1820年から1823年にかけて)14枚の絵画の総称「黒い絵」の中の一枚。「黒い絵」の呼称は、黒をモチーフとした暗い絵が多いことに由来(特に有名なのは「我が子を食らうサトゥルヌス」)。「運命の女神たち」では、正体不明の人物と三人のモイラたちが、夕日を反照した湖の上に浮かんでいる。画面のほぼ中央では「クロト」が生まれたばかりの赤ん坊(流産した子とも言われる)をつかみ、その赤ん坊から運命の糸を紡ぎだしている。その背後では「ラケシス」がレンズを片手に運命の糸を紡ぎ割り当てする用意をしている。そして右端では「アトロポス」がその終焉で糸を断ち切らんと待ち構えている。手前の男が何をあらわしているかについては、定説はない。モイライが司る運命を背負った人間、もしくは暗い動向がなお続いていた当時のゴヤ自身やスペインの象徴的存在と考えることはできそうだ。

 1820年1月、リエゴ将軍に率いられた自由主義者の蜂起が成功し、同年3月には、1812年に制定されながらフェルディナンド7世の復権によって陽の目を見ることのなかった自由主義憲法、通称「カディス憲法」の復活が決定される。ゴヤは4月4日、ほぼ1年半ぶりにアカデミーの会合に出席して憲法への忠誠を誓っている。しかし、自由主義政権の基盤は弱く、騒乱状態が続く中、1823年5月、「神聖同盟」の守護者アングレーム将軍の率いるフランス軍がスペインに侵攻し、革命政権は崩壊。同年10月にはフェルディナンド7世が国王の座に復帰。リエゴ将軍は処刑され、自由主義者に対する血の弾圧がスペイン全土に荒れ狂った。反動政府による弾圧を恐れたゴヤは、同年9月17日、「聾者の家」を孫のマイアーノに譲渡し、みずからは翌年の始めまで保守派のホセ・ドゥアーソ神父のもとに身を隠した。そして自由主義者に対する恩赦令が出たのち、1824年6月、自分の病気療養を口実に祖国スペインを捨てて、フランスへの亡命に旅立った。これが「黒い絵」の背景にあったゴヤをとり巻く当時の状況だった。

( ゴヤ「運命の女神たち」プラド美術館)

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(ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」ウフィツィ美術館)

(フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス「ゴヤの肖像画」プラド美術館)

(テミス像 紀元前300年頃)

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