蕎麦の話⑨ 小林一茶と蕎麦

 小林一茶の故郷は信濃国水内郡柏原村。標高2053mの黒姫山の麓の雪深い里である。この地域は、良質の蕎麦が穫れることでも有名で、15才で江戸の奉公に出るまでの一茶は秋にはあたり一面に咲く白い蕎麦畑を見て育った。五十歳で再び故郷に戻り文政十年(1829)、65才の生涯を終えている。生涯に作った俳句はおよそ二万。その中には蕎麦を詠んだ句も30以上残している。

              「信濃では月と仏とおらが蕎麦」

 信濃の名物として、「月」=更科の名月(これと蕎麦が結びついて「更科蕎麦」の名が生まれた)、「仏」=善光寺の阿弥陀如来とともに「蕎麦」を取り上げている有名な句で、蕎麦屋の看板に出ていたりするが、一茶の句でない。長い間一茶の作品だと思われてきたが、一茶の書いた句文集にも、また、門人達の出版した「一茶発句集」や「嘉永版一茶発句集」にもこの句は出ていない。宣伝のためのキャッチコピーのようだ。

              「そば時や月の信濃の善光寺」

 8月(旧暦では秋)の句なので「そば時」は蕎麦の花(秋の季語)で、月に映える真白な蕎麦の花と月に照らしだされた善光寺を詠んだ絵画的な句だ。

              「そば所と人はいふ也赤蜻蛉」

 赤蜻蛉(とんぼ)と真白な蕎麦の花の対比が美しい。

             「しなの路やそばの白さもぞっとする」

 前書きに「老いの身は今から寒さも苦になりて」とある。故郷・北信濃は冬の到来が早い。蕎麦の花の白さは単に美しいだけではなく、やがて訪れる長く厳しい冬も思い起こさせる。

              「蕎麦国のたんを切りつつ月見哉」

 「蕎麦の自慢はお里が知れる」という諺がある。その意味は、いい蕎麦がとれると自慢することは、米がろくにとれない土地ということをさらけだすことと同じ。だから、蕎麦の自慢は自慢にならない、ということ。一茶は江戸の者から揶揄されるのを承知で「たんを切り」(自慢し)ながら月見を楽しむ。

              「陽炎やそば屋が前の箸の山」

  一茶が活躍した200年前には、割り箸は、まだ普及していなかった。食べ物屋の多くは、竹で作られた丸箸を、洗って使っていたそうだ。そば屋で割箸が使われだす前の、箸を洗いかえして使っていた江戸後期の店頭風景である。

              「江戸店や初そばがきに袴客」

 新蕎麦を待ちわびる様子が「袴」によく現れている。

             「赤椀に龍も出そうなそば湯かな」

 椀の赤と蕎麦湯の白の対比だけでなく、蕎麦湯からの龍をの連想がおもしろい。ちなみに、蕎麦切りを食べたあと蕎麦湯を飲む風習は信濃から始まって江戸時代の中頃になって江戸に伝わったとされる。

(信濃の蕎麦畑)

(広重「信州更級田毎の月」) 更科の名月「田毎(たごと)の月

(広重「六十余州名所図絵 信濃 更科田毎月 鏡台山」)

(善光寺)御本尊の阿弥陀如来は絶対秘仏で、7年に一度の御開帳(開帳されるのは模鋳した前立本尊)にさえ姿を見せず誰も見たことはない

(小林一茶)

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