『レ・ミゼラブル』⑦ジャン・ヴァルジャンとコゼット1
コゼットが初めてジャン・ヴァルジャンに出会ったのは、水を汲みに行ったモンフェルメイユの夜の森。ジャン・ヴァルジャンは重い水桶を持ってやり、コゼットが欲しがっていた人形を買い与えた。年寄りで、貧しい身なりの、とても寂しい感じがする、やさしいこの男のことをコゼットはどう感じたか?
「森であのおじさんに出会ってから、なにもかも変わってしまったような気がした。空を飛ぶどんな小さなツバメよりも不仕合わせなコゼットは、母親のふところや翼の下で守ってもらう気持ちがどんなものなのか、一度も味わったことがなかった。五年前から、つまり、ものごころついてから、このあわれな娘は、おそれや寒さにふるえどおしだった。身を切るような不幸の北風にいつも丸はだかでさらされてきたが、ようやく着物を着ているような気がした。まえは魂が凍えていたのに、いまは暖かい。テナルディエのかみさんも、もうそれほどこわくなくなった。もうひとりぼっちではない。だれかがそばにいてくれる。」
この一節を読んだとき、イエスによって癒される「全身重い皮膚病にかかった人」(「らい病」者、「ハンセン病」者)について書かれた新約聖書の記述が浮かんだ。
「イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。」(ルカによる福音書5章12~13)
旧約聖書の決まり(「レビ記」)によれば、この病気にかかった人は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、自分から「私は汚れた者です」と言わなければならなかった。そのように宣言して、誰も近づくことがないようにしなければならなかった。だから誰も近づかないし、ましてや触れることはない。遠ざかっていく。そのような病気になっているこの人に対し、イエスは手を伸ばして触れた。誰も触れることのない人に、イエスは触れた。そして、「よろしい。清くなれ」と宣言されたそのひとは、思ったことだろう。「自分はもうひとりぼっちではない。イエスがそばにいてくれる。」と。
ジャン・ヴァルジャンと出会い、コゼットは自分でも気づかないうちに変わっていく。それまでコゼットは人を愛そうとしたがうまくいかなかった。だれもかれも彼女をはねつけた。だれひとり彼女を好きになってくれなかった。ジャン・ヴァルジャンと出会った時、彼女の心は冷え切っていた。しかし、彼女が愛する力を失ってしまっていたわけではない。機会がなかっただけだ。その機会をジャン・ヴァルジャンが与えた。
「最初の日から、彼女の気持ちも思いもみんな、この老人を好きになりはじめたのだ。いままで一度も感じたことがなかった、花が咲き出るような気持を味わった。」
(コゼットに人形をプレゼントしたジャン・ヴァルジャン)TV『レ・ミゼラブル』(1982年)
(犬や猫と一緒にテーブルの下で食事をさせられるコゼット)
(裸足でそうじをするコゼット)
(森でジャン・ヴァルジャンと出会ったコゼット)
(テナルディエにファンチーヌの手紙を見せるジャン・ヴァルジャン)
(ムリーリョ「足なえを治すキリスト」ロンドン ナショナル・ギャラリー)
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